2018年9月6日の午前2時くらい、そろそろ寝ようと思っていたころに北海道地震に襲われました。
あのガクンという揺れに教われた瞬間のことは今でもはっきりと覚えています。
あたり前ですが、何の前触れもなく、いきなり大きく揺れました。
意外にパニックにはならなかった故愛犬ぱぴを私はすぐに抱き上げたことを思い出します。
ちなみに、このマンションの他の住人は意外に冷静でした。
たくさん住んでいるのに、ばたばたした音はあまりしていませんでした。
北海道地震きょう1年 各地で追悼、避難生活なお https://t.co/onGySrQ9jm
— 日本経済新聞 電子版 (@nikkei) September 6, 2019
だけど、この時、学んだことがありました。
水はすぐに確保しておくべきだった
揺れが止まった時、隣あたりから水を大量に流す音が聞こえたんです。
私はこの時、この意味がわかりませんでした。
つまり、私はこの後水まで止まるということは全く予期していなかったわけです。
電機は揺れが止まって少し時間が経ってから停電。
ブラックアウトを二度と起こさないためのインフラ整備がこの1年で進みました。 https://t.co/O8nBOkG00A
— 日経 北海道 (@nikkei_hokkaido) September 5, 2019
外も真っ暗になっていましたが、マンションの廊下だけは明るく電気が点いていました。
だから、室内にいるよりも、室外の廊下に出ていたほうが明るいし、安心だった感じでした。
けれど、誰も廊下に出てはいませんでした。
皆、結構、冷静なんですね?
時々、やはり様子を見るようにちょっとばたんばたんとしている音は聞こえたのですが、あれだけ揺れたのに静かなものでした。
だけど、水を出す音は結構響いていたのです。
しかし、やがて、抜けている私も思い出しました。
「停電になったら水も止まってしまうことが多いので、水だけは用意しておくように」と、どこかで聞いた記憶がありました。
それで、慌てて、水を水道から汲んでおこうと思って、大きめの鍋に水を汲もうと思ったら、既にちょろちょろ状態。
そして、間もなく水が出なくなりました。
ただ、その日は私は飲み物を作って冷やしてあったので、当分の間の水分はありそうだと思いました。
愛犬ぱぴの水はまだぱぴの食器にたっぷりと入っていました。
そして、私は実家も妹一家も徒歩圏内なので、水は確保できるだろうと思って心配はしていませんでした。
こういう時、親の側に住んでいてよかったと思いました。
食料は蓄えがなかったら買いに行くべきだった
地震のあと、ちょっと間を置いてから停電しました。
でも、そううちに明るくなり始めました。
早朝にぱぴを連れて散歩に出る私は、いつものようにぱぴを連れて散歩に出ました。
すると、公園に人が結構たくさんいて、公園の水道の水を汲んでいる人が結構いることに気が付きました。
つまり、公園は水が出ていたんです。
これもちょっと安心材料になりました。
で、ぱぴを連れて散歩をしていると、水やらカップラーメンやらを大量に買って歩いている人が結構見かけました。
その時、私も買いに行かないといけないと、やっと気が付きましたので買いに行きました。
が、信号機すら消えている中、コンビニもレジが動かないなどのこともあり、閉めている所が多かったと思います。
でも、近くのセブンイレブンはちゃんとレジも動いていたので、たくさんの人が買いものにきていました。
ですから、食料とはいっても、食事になる物は既に売れてしまっていて、あるのはスナック菓子などもお菓子などでした。
チョコレートやナッツなどでもあれば買ってしまおうと思ったのですが、そんなこと、みんな思っていますので、やはりほとんど残っていませんでした。
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ペットの避難道具こそ用意しておくべき
私は地震がおさまった後、すぐにぱぴの避難道具をまとめました。
ドッグフードとペットシーツとフード入れの食器と紙コップと、慢性腎不全用の薬をすぐにまとめました。
私には、ぱぴを残して、私だけが避難するという選択肢はありませんでした。
ぱぴを連れて避難できないのなら、私は避難をしないと決めていました。
今はペットも連れて避難するようになっているはずです。
といっても、小さい子供さんとかがいれば、ペットまで一緒に連れて避難はできないかもしれません。
それは、その時点では仕方がないと思います。
でも、私の場合は、ぱぴ1匹は余裕で連れて避難できると思っていたので、まずはぱぴの物から先に準備をしました。
万が一避難生活とかになったら、病気の犬に必要な物は手に入らなくなると思ったので、ぱぴの慢性腎不全の薬は忘れてはいけないと思いました。
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お部屋にたくさん物は置かない
現在、私の家には、割れ物はありますが多くはありません。
また、高さのある家具などはありません。
また、高い所に物はできるだけ置かないように気を付けています。
ですから、私のお部屋は比較的安全であるとは思っていました。
あの時は目のあまり見えていなかった愛犬ぱぴがいたので、床にもなるべく物をおかないようにしていました。
お部屋の中の物は定期的にチェックして、とにかくたくさん物をおかないようにしたほうが、自分が一番安心でき、安全だと感じました。
・2018年夏!札幌のエアコンのない住宅で老犬を留守番させる時の狂いそうな心境を語ってみた・・・の1か月前のぱぴにとって最後の夏の最盛期の時の記事です!
デスク周り
私の場合は、今もそうですが、家で仕事をしています。
その関係もあり、パソコンが置いてあるデスク周りには物が結構あります。
だけど、ペンとかは転がったり飛んだりしたら危ないです。
また不安定なモニターは倒れてしまいそうで怖いですね。
私の場合、地震の時に、不安定に揺れているモニターを実は手で押さえ、足でパソコンを押さえていました。
パソコンは壊れてほしくなかったですから。
睦美はん、右手でモニター押さえて、左手でぱぴを抱いて、足でパソコンを押さえていたよねwww
モニターも飛ばされたら危ないですからね。
服などもあまりあちこちにぶら下げておかないように!
また、外でも働いているので、服は結構あちこちにかけてあったりします。
服そのものは軽いので、落ちてきてもあまり危なくはないでしょう。
けれど、ハンガーの中にはしっかりとした重い物もあります。
できるだけ、がっしりとした重たいハンガーは使わないようにしているんですけれどね。
あの、着のハンガーとか重いよね!
でも、ハンガーにかけておいている洗濯物が乾かないような時もあります。
そういう時は、どうしてもお部屋のあちこちにかけて、はやく乾かすようにします。
ところが、これらのハンガーが愛犬ぱぴの頭の上に落ちたら、小さいぱぴの場合は怪我だけではすまないかもしれません。
愛犬ぱぴが生きていた時は、服をかけるハンガーもあまりぶらぶらとあちこちに下げないように気を付けていました。
キッチン回りは戸もきっちり閉めて!
食事をしっかりと作る方ですと、キッチン回りもそれなりに物があると思います。
私のキッチンもある程度の物は揃っています。
できるだけ、少なくしようとしているのですが、食事を作ることが嫌いでない私にとっては、調理道具を減らすと、幸せ度が一気に下がります。
キッチンには大きくて、重くて、尖っていて、割れる物がたくさんあります。
それらを収納している所は、しっかりと戸を閉め、開かないようにしておいたほうが安心な気がします。
その他雑多な物達
たくさん物があると、片付けるのが難しくなってしまいます。
ですが、片付けられなくて、無造作に積んで置いているようなものは、地震の時などには凶器に変わる可能性も高いです。
ペットとかを1匹で留守番させることが多いお家の場合、少しでも心配材料を少なくするにはお部屋はすっきりと収納できていなければいけないと実感しました。
私はぱぴを10時間くらいは留守番をさせる生活だったので、お部屋の中に危険がないか、いつもチェックしていました。
だから、できるだけお部屋の中にたくさん物を置かないように心がけていました。
ただ、今は家には犬も猫もいませんし、私は働きに出ている時間が多いので、ちょっと状況は変わっています。
が、今のこの状況も変わるんだと思います。
避難用の食糧は避難用でなくても大丈夫!
地震などの災害があった後は、かなり消費期限とか賞味期限とかが長い非常食やらが一揃い入った非常用バッグがあちこちで売られますので、そういうのを買っておくとよいのはもはや常識ですね。
ただし、非常食がなくても、お家におやつとかシリアルとかカップラーメンをストックする習慣があれば、それらは非常食になると思います。
非常食セットを持っていない時に地震など自然災害があったら、それらの食べ物があることを思い出して、慌てないのが一番だと思います。
そう考えたら、ある程度の食べ物はストックしておくことは大切ですね。
ちなみに、ひとり暮らしですと、食べ物をほとんどストックしておいていない人もいるかもしれません。
が、ひとり暮らしだからこそ、ある程度の食料はストックしておいたほうが安心できます。
特にカップ麺とかはひとり数個分はストックしておいたほうがいいと思います。
昨年の地震のあとしばらくは、私の場合はカップ麺さえもなかなか手に入らなかったことを思い出します。
カップ麺も時間をかければ水でも作れますかね!
北海道地震を思い出しながらのあとがき
「地震の町ではなく、ハスカップの町だね、と言う人が増えるのが復興ということ」。厚真町のハスカップ農家、山口さんの挑戦は続いています。 https://t.co/6AIjFSkYHA
— 日経 北海道 (@nikkei_hokkaido) September 6, 2019
あの北海道地震の深夜、私の住んでいるマンション辺りはまだ暑く、窓を開けていました。
ですから、近所の家から「ガシャーン」とか、物が割れる音が響きました。
ああいう音を聞いてしまうと、それまで冷静だったのに、突然怖くなったりします。
私の家も、決して物が少ないほうではないので、揺れ始めた時はすぐに危ない物がないか周囲を見回しました。
そして、ぱぴとパソコンとバッグを守ろうとしました。
残念なことに、今もまだ、あの北海道地震の影響で以前と同様の暮らしは出来ていない方もいらっしゃるようです。
完全に同じようにはならないこともあるかもしれませんが、その中で少しでも快適に暮らしていけるようになることをお祈りしています。
北海道、頑張りましょう。
私も学んだことは忘れないようにして頑張っていきたいです。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。