北海道胆振東部地震からほぼ1週間経過!笑顔とコロッケとパンが嬉しい今

今日のこと
北海道胆振東部地震の時のお菓子たち,フロム50

きっと多くの人が睡眠中であったであろう平成30年9月6日午前3時8分、北海道胆振東部地震発生。

あれから1週間経ちます。

この地震を経験された方、今、お元気にしていますか?

日常生活は地震前に比べて、どの程度回復しましたか?


北海道胆振東部地震を経験した人の多くは地震の影響がこんなに長く続くなんて想像もしていなかったのではないでしょうか。

少なくても私自身はそう感じています。


だって、1週間経過してもこんな状況なんですよ。

  • お風呂でゆっくりしたいという気分には全くならない
  • 派遣先が通常業務に戻れてないから仕事にいけない
  • 買いたい食品が数量制限があって好きなだけ買えなかったり、欠品だったりする
  • 交通機関の状態も以前とは違う
  • 余震が起きるとドキッとしてしまう

大変申し訳ないのですが、札幌で北海道胆振東部地震を経験した私にとって、そんなに大きな地震だったという感じはなかったです。

札幌の場合、震度がすぐに入電できなかったのか、正確な震度がわかりにくかったです。


が、今、「気象庁|平成30年北海道胆振東部地震の関連情報」で確認しますと震度5弱だったということです。


震度5くらいの地震は私の人生では数回経験あります。

それで、この程度の地震ならたいしたことないだろうと、心のどこかで思っていました。

それなのに、こんなに後々まで地震の影響があるなんて、全く想像もしていませんでした。

だから……

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スーパーなどで働く従業員さんの笑顔がウレシイ!

地域によってもかなり違いがありますが、地震が発生してから何時間というレベルではなく、被害が軽かった所でも10時間以上停電が続いたり、水道が止まったり、公共の交通機関もストップしたりしました。

買い物に行こうと外を歩くきながらなんか不自然な気がすると感じてよく考えたら、信号が消えているではありませんか。

信号が消えているなんていう状況、私自身は50年生きているのにかつて一回しか見たことがありません。



かつて、私は胆振地方に住んでいた時に、台風の影響で信号が止まったという経験はあります。

東北の地震の時も私は胆振地方にいて、札幌よりは地震の規模が大きかったですし若干の津波がありましたが、信号は大丈夫でした。

今とは違って厚真の火力発電所には影響がなかったからですね。



けれど、とにかく、こんなに長い時間信号が止まったのは見たことがありませんでした

道路を渡りたい時、どうしていいのかわかりませんでした。

交通整理の人が全ての横断歩道にいるわけではありませんからね。

車通りが結構ある信号がついていない道路をどうやって渡っていいのかわからなくなったりしました。

それで、私などは軽くパニックになったりしました。



そして頑張ってダッシュして横断歩道を渡って、コンビニやスーパーに行っても、何も並んでいない棚を見てはガッカリ……。

お菓子たち,フロム50

ちなみに、私が地震後5時間くらい経ってセブンイレブンで購入できた物は上の写真のお菓子と飲み物でした。

お菓子は駄菓子系の物は結構ありましたが、チョコレート系の物が多く、あまり買いたいとは思いませんでした。

きっと多くの人が同じように感じていたと思います。

食べ物を買えないという現実は気分をかなり暗くするんですね。

そう、なんだか精神的に疲れてしまうんですよね……。

地震の時に緊張したから、ということもあるのでしょうね。

だからこそ、にこやかに笑顔で対応してくれるお店のスタッフがとても暖かく感じました。

笑顔がキラキラ輝いていました。

笑顔って輝くんですね!

なんてありがたいんだ!と思いました。

コロッケが売られていてホッとする

地震が起きた9月6日はカップラーメンが手に入ればいいほうだったでしょうね。

水は初めから止まらなかったところもあったようですし、公園などの水は出ますし、給水車もわりと早めに出動してくれたようです。

ですから、地震の時にはカップ麺ばかり食べていた人は多かったと思います。



だって、その後2日間くらいはパンもお弁当もおにぎりも総菜も売られていなかったのですから。


さらに、生鮮食品も全く売られていませんでした。

肉も魚もスーパーマーケットにはありませんでした。


ただし、八百屋さんにはとても混んでいて、野菜が売られていました。

餃子屋さんは餃子を売っていました。

居酒屋さんも営業していました。



でも、いつもの食生活ができませんでした。

だから、地震後3日くらい経ってからはじめてお惣菜売り場にコロッケが売られているのを見た時はうれしかったです。

子供のころからコロッケなどのお惣菜をよく食べて育った私は、なんかコロッケを見るとホッとします。

しかし、同じことを感じている人が多いのか、コロッケなんてすぐに売れてしまうのです。


そうですよね。

余震が続いているので、自分の家でコロッケを揚げようと思う人はあまりいませんよね。

それに、冷凍食品はほとんど欠品しているので、コロッケや豚カツなどはお惣菜で買わないと食べられない感じでしたからね。




そうそう、お惣菜が並んでいると、不思議と暖かい感じがしました。

その売り場から、そのお惣菜を作っている所が見えているのですが、作ってくれている人がいるということもうれしかったです。

まだ余震がある中で揚げ物を作るという行為はものすごくリスクがあることですからね。

働いてくれている方々に感謝ですね。

菓子パンが売られ始めてうれしかった!これで働ける!

地震発生後、2日間くらいは菓子パンも見かけなくなりました。

私の中でこれはちょっと想定外でした。

パンも工場で製造されるものですから、停電が続いていいれば、パンは製造されません。

さらにたくさんの労働者が必要になるでしょうけれど、公共の交通機関が動かない状態では通勤できない人が圧倒的に増えるでしょう。

また、総菜パンであれば、揃わない材料もあるでしょう。



そして、地震が発生した時に全てのパンはお米を使ったお弁当と同時くらいに売れてしまったのでしょう。

その時私は思いました。

お弁当も総菜パンも売られていない、さらに菓子パンも売られていない中、お弁当を自分で作らない労働者が仕事に出かけても、ランチが手に入らないだろうと思いました。

ランチすらも手に入らない、あるいは入りにくい中状態では仕事に行きたくないという人は多いだろう思いました。


そんな中、働きに出かけた方、お疲れさでした。

幸か不幸か、私の場合は派遣先の休みが想像していたよりもかなり長く続いたので、ランチに悩む必要はありませんでした。(笑)


ちなみに、私はお弁当を作って持っていくということは、これまでの派遣先ではしていません。

それに、お弁当のおかずになる物もまだ満足に購入することすら難しいです。

ですから、保存に悩まなくてもよく簡単に食べることができる菓子パンというのは、私にとってはランチとなりうる貴重な物です。

そんな状況でしたから、菓子パンが売られ始めた時には本当にうれしかったです。

このくらいのことで喜びを感じるようになるなんて自分でも驚きです。

地震はこんなにまで私たちの生活に影響を与えることになるとは思いもしませんでした。




そして、このは地震の爪痕はそろそろ1週間経過するのに、まだ私達北海道民の生活を元には戻してくれません。

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節電を意識しながらみんなで頑張ろう

地震発生後、まだライフラインすら回復していない所があります。

そして、道民は節電を心がけましょうということです。

この節電に関してはできる範囲で私も協力しています。

パソコンでこのブログを更新している今この瞬間も、天井には豆電球しかついていません。

ちなみに、地震が起きた時も今と全く同じ環境でした。


私にとっては、この暗い環境がとても落ち着くのです。

というか、室内を暗くして窓の外の景色を楽しんでいるというのが真実ですけれどね。

夜、窓の外の景色を見ながら思いを巡らし、それを文章化するのがとても好きなのです。




私としてはこういう仕事の仕方なら私の生涯最期の日まで続いてもいいと思っています。




では、地震の影響でまだもう少し大変なこともあると思いますが、頑張っていきましょう。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

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