このブログの最初のころ、私が先住犬の骨を持っていることを書きました。
現在もありますが、内容的にデリケートですので精査してリライトするか、削除しようと思っています。
そして、その骨は今現在も持っています。骨を持っているのが趣味なわけではありません。
それには理由があるのです。
愛犬クリームが死んだ時私のプライベートな状態もぐらついていた
愛犬クリームが旅立ってから、2018年4月で既に6年半経っています。
愛犬クリームが旅立つかなり前から、私の結婚生活は壊れかけていました。
修復しようと私なりに努力をしたのですが、うまくいきませんでした。
違う国で、なぜか学ぶことができない暗号のような違う国の言葉を話して生活しているような感じだったかもしれません。
自分を修正するという方法はありました。
人は変えられない。だけど自分は変えられる、という方法です。
しかし、それはあまりにも犠牲が多く、そこには魅力をどうしても、どうやっても感じることができませんでした。
そのような状態をクリームが気が付いていて、だから、はやめに旅立ったのかな……と思ったりすることがあります。
時を経るに従って、離婚というものがだんだんと現実的なものになっていきました。
そして、離婚をしたら、私は札幌に戻ることは明らかでした。
仕事を探すにしても、結婚していた時に住んでいた田舎ではものすごく不利でした。
それゆえに、お骨を埋葬できなかったのです。
自分がお参りに頻繁に行ける所に埋葬したいと思ったら、離婚の時に愛犬のお骨を持って行かなくてはなりません。
札幌に埋葬したかったからです。
そのようなわけで、愛犬クリームの1回目の命日だけはクリームが暮らした家で迎えたくて、私が家を出る日を調整しました。
思うことがあり埋骨するタイミングを逃し続けた
シングルにもどり、故郷札幌に帰ってきてからは、どこに埋葬しようかと考えているうちに時間が経ってしまいました。
周囲には「お骨はちゃんと自然に還してあげないとかわいそうだよ」とか「運がつかなくなるよ。
だから、最近、いいことないんだよ」とか言われることもありました。
でも、気が付いたら、数年経っていたという感じでした。
ちなみに、誰かが家に来る時にはお骨は見えないようにします。
位牌ならいいですが、お骨ならば、多くの人が気になるでしょうから、見せません。
そんな感じで、埋葬するタイミングをすっかりと逃してしまいました。
無理やり計画を立てて、埋葬したらよかったのでしょうけれど、そういう気持ちにはなりませんでした。
ここまできたらぱぴと一緒にしようと思うようになった
(この写真は死の数か月前のクリームです)
クリームは15歳7か月で旅立ちました。
ぱぴは2018年4月7日現在、15歳5か月です。もうすぐ15歳6か月になります。
そして、ぱぴも不治の病の「慢性腎不全」でもう1年近く闘病しています。
今のところ、とても良い感じで病気と共存できています。
けれど、不治の病です。そして、年齢が年齢です。
こうなったら、もう、このぱぴが旅立つ時まで、クリームのお骨を私のそばに置いておこうと思っています。
そして、2匹一緒に自然に還してあげようと思っています。
その日ができるだけ遠い日になるように祈っていますけれどね。
ただし、今度はぱぴが私に気を使ってはやく旅立とうとしてしまったら困ります。
だから、ひょっとしたら、先にクリームを埋葬することもあるかもしれません。
まとめ
基本的に住宅事情などもありますし、お骨があると室内の雰囲気が変わってしまうかもしれないという様々な心情もあります。
ですから、お骨は速めに埋葬してあげたほうが良いと思っています。
それなのに、愛犬クリームのお骨は既に6年半も私のそばにあります。
周囲には自然に還してあげたら……という声もあります。
でも、「ここまできたなら、ぱぴと一緒でいいのでは?」と私は思っています。
そして、そういう声もあります。
ただし、状況によっては先にクリームを自然に還して、その後、同じ所にぱぴを埋葬してもいいかな……と思うこともあります。
絶対に2匹一緒にしなければいけないと思っているわけではありません。
今日のアイキャッチのバラの写真は、クリームの3回目の命日の時に買ったミニバラだよ!
最後までお読みいただきどうもありがとうございました。