適齢期に自分が本当に好きになる人に会うのは難しいかもしれない
適齢期という言葉、おもしろい言葉ですよね。
結婚をするのに向いている年齢ということを意味するのが不思議ですね。
そして、あなたにとって、結婚のための適齢期とは何歳ですか?
そんなこと、女性の日に考えたくないですか?
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私は28歳くらいから35歳くらいまでは適齢期だと感じていました。
この適齢期というのは女性の場合は出産可能な年齢でかつ、結婚の準備ができた年齢のことを言うと思います。
そして、今、私が思う結婚適齢期は25歳くらいから40歳くらいだと思っています。
子供がいらないのであれば、適齢期はないと考えています。
つまり、今、私も立場的には適齢期であると思っています。
ただし、積極的に結婚をしたいと思っているわけでもありません。
そして、私が結婚したい、この人の子供なら産みたいと感じたのは25歳の時でした。
結婚の話しもちらっと出始めていたのですが、お互いに夢があり、叶いませんでした。
そして、この人の子供を産みたいと感じたのは、それが最後でした。
つまり、私が心の底から好きなり、この人の子供がほしいと感じたのは25歳前後の時だけだったということになります。
いわゆる世間一般的には適齢期ではあったのかもしれませんね。
しかし、私の当時の状況では適齢期ではなかったのです。
でも、この人がもっと後に現れてくれたら、私の人生ももっと違ったのかもしれませんね。
その後、付き合う人が現れても、そして付き合っているからといって、更に結婚しているからと言って、好きだとは限らないですから。
私自身、それ以降、数人とお付き合いしました。
故元夫とも出会いました。
けれど、同じような気持ちにはなれませんでした。
何かが違いました。
残酷な現実、という感じでしょうか。
純粋に好きになるのは打算がない時だけ?
あなたは結婚する相手の条件はいくつありますか?
相手の年齢は?学歴は?身長は?体重は?顔は?結婚までのタイムリミットは?子供は?将来的に親との同居は?譲れないことは?
そして、それらの条件にぴったりと合う人はいると思いますか?
51歳になる私には正直な条件をいうと、それに合う人は99.9%いないでしょう。
でも、もし、その条件にぴったりと合う人が現れたとしても、その人に全然興味を持てないということもあるのでしょうね。
興味は持てなくても条件はぴったりなのだから、根本的には会うはずだと思って一緒にやっていくというのも間違ってもいない気もします。合理的ですね。
合わないと最初は思っても、コンピューターで見つけた相手は、実はなかなかぴったりだったりするのかもしれません。
知らんケド。
価値観は皆変化する
よくわかりませんが、人間は根本的な部分はあまり変わらないかもしれません。
しかし、長いスパンでみると、少しずつ変化しているほうが自然ではないでしょうか。
変わろうと思って変わる場合もあるでしょうけれど、社会の変化に合わせて、自然に変わる場合もあるでしょう。
また周囲にいる人の影響を受けて変わる場合もあるのではないでしょうか。
あなたは20年前くらいの自分と今の自分を比べてみて、変化していないと言えるでしょうか?
変化していないと言いきれるなら、あなたは相当頑固な人ではないでしょうか。
あるいは本当に誰かを好きになったことがない人かもしれませんね。
私の場合、割と大きく変化していないとずっと思っていました。
けれど、最近、大きく変わったことがあると気が付いています。
それは生き甲斐に関することです。
昔は思ったことがなかったことなのですが、今は結構強く思っていることがあります。
どういうことかといいますと、生きているうちはたとえ少しであっても自分で稼ぎたいということです。
暖かい家庭が作ることに価値を感じていた私にとって、仕事はそんなに大切に感じるものではなかったのです。
それが、今は仕事がそれなりにいとおしかったりします。
生きるために仕事をしなければいけなくなったから、ということも大きいですが、私は元々物書きになりたかったのです。
子供のころから、学校の授業で一番好きだったのは作文の時間でした。
だから、死の直前まで、書くことで少しでもお金をもらえるならばウレシイかな……と思ったりもします。
それがブログからの報酬でもとてもウレシイです。
ただし、書いていく場所や方法は変わっていくのかもしれませんけれどね。
相手の変化を感じ取り確認することも必要かも
このように、価値観は変化していくことは不思議ではないことです。
自分も変化します。
そして、自分の周囲にいる人も価値観も変化している可能性が高いです。
一緒にやっていきたい人がいるならば、相手の価値観も変化しているかもしれないと思ったほうがよいでしょう。
だから、お互いに確かめ合わないと、気が付いたら、相手が全然知らない人になっている可能性があります。
大切な人ならば、目を向けてあげ、聞いてあげなくてはいけないのでしょうね、きっと。多分……。
とりかえしのつかないこともあるから
ばついちの私、既に元夫は他界しています。
離婚してから彼は他界したので、死の原因は正確にはわかりません。知る術もありません。
ただ、病気がちになっていて、しばらく入院していたとは聞いていました。
その情報は火災保険の担当の人から電話をもらって知ることになりました。
離婚に至るまでには、お互いに伝えたかったことをうまく伝えられなかったとか、理解できなかったとか、辛抱できなかったとか、そういうこともあったと思います。
でも、私としては頑張れるだけ頑張ったかな……と思っています。
伝わらないことが多くて疲れました。なんでこんなに伝わらないんだろう……と思って過ごしていた時代もありました。
2人でいる孤独を存分に味わいました。あの孤独よりは、今のひとりと一匹の生活のほうが孤独ではないのです。
といっても、その一匹ももう15歳ですから、そんなに長くは一緒にいてくれないのでしょうけれど……。
でも、離婚に至ったのは仕方がないと思っています。
現在、日本でも3組に1組は離婚をする時代です。
女性の生き方も変わってきました。
お互いに伝えたかったことをうまく伝えられなかったとか、理解できなかったとか、辛抱できなかったとか、そういうことはあったと思います。
それの確認ややりなおしということはできない、それが人生の一面でもあります……。
ただ、確認したいという気持ちが大きいのです。
相手のあの時の心境、本音を知りたかったというのがあります。
それを聞いたからといって、それからまた一緒にやり直したいとも思っているわけでもないのですよね。
相手が憎しみの気持ちを持っているのかもしれないということも覚悟しています。
それでも、ただ解けない方程式の答えを知りたい、という感じなのです。
「解なし」だったのでしょうか?
解なしなら解なしと知りたいという気持ちが残っています。
でも、相手が死んでしまっていはもう確認のしようもありません。
男女のカップルというのは、相手が死んでいなくてもそういうものかもしれませんけれどね。
籍が入っているうちは家族。除籍した瞬間他人……。嫁という立場が一瞬で消えます。
そして、相手だけではなく、相手の家族とも他人になるのが離婚というものですが、不思議な関係ですね。
私が50年の人生で言われて最もうれしかった言葉はアメリカ人の元彼に言われた言葉
あなたがそれまでの人生の中で、言われて最もうれしかった言葉というのはどんな言葉でしょうか?
その言葉をかけてくれた人は誰ですか?今でもお付き合いがありますか?
その言葉はあなたにどんな影響を与えましたか?そして、あなたは同じくらいステキな言葉をその人にかけましたか?
私が一番心に残っている言葉はアメリカ人の元カレからかけてもらった言葉です。
もう20年以上前の言葉なのですが、この言葉以上の言葉はまだいただけていません。
それをご紹介しますね。自慢させていただきます。
「君はひとりでアメリカに来て、大学で経済学を勉強をして卒業をできるだけの力もある。
一人でアーカンソー州からカリフォルニア州に運転してきて引っ越すだけの行動力もある。
それなのに、なぜ、将来の夢がそんなにないの?なさすぎるよ。
なんで?
多分、日本の教育や社会の制度に問題があると思う。
食事の準備とか家事なんて、はっきりいって僕だってできるよ。
日本食は作れないけれど、勉強したら作れるようにあると思うよ。
だから、そんなことに君は価値を見出さないでほしい。
もっと夢を持ってほしい。」
こんな感じの言葉でした。ひょっとしたらこれが生涯で最高の言葉になるのでしょうか。
今まで、私が人に言われた言葉で、これほど印象的でウレシイ言葉はありません。
私は特に外国人が好きなわけではないのです。
けれど、私と同じくらいの年代の日本人の男性でこういうことを言ってくれる人はいませんでした。
ひょっとしたら生涯で最高の言葉になるのでしょうか。
今の若い男性は、時代の流れもあり、夫婦共稼ぎを望む人が多いようですね。
しかし、私が結婚適齢期であったころは、そういう男性は少なかったです。
ちなみに、故元夫も、私がパートに出ようかと話題に出すと、一切返事を返さない人でした。
頑張って生きて、これを超える言葉を残る人生のうちで聞いてみたい気もします。
聞きたいから、先にこちらから言ってくれそうな人に言うようにしましょうか。
自分も、誰かの記憶に残るような素敵な言葉をいえるようになりたい気はします。
そう思う半面、もう、あまり誰かにとって重要な人物になりたくない気もしたりします。
ひとりで、静かに、あまり人に気づかれないように生きていく感じもそれはそれでいいかも……と思ったりもします。
実はこの気持ちは好ましくない傾向と思います。それについて、これからお話しします。
叶えることができないことができた年齢になったからこそわがままに生きるべき
私の場合、暖かい家庭を持つのが一番の夢だったような気がしますが、それとは違う人生を歩むことになりそうです。
多くの人が普通に持っている物を持てなかった自分は、どこにいても全然しっくりこないという感じはあります。
普通の幸せには縁がなかったのかもしれません。
ただ、子供のころからの育てられ方で作らた自分と、自分が気が付いていない素の自分は違うのかもしれませんけれど。
そして、同じような心境で過ごしている方も少なくないと思います。
ひとりで生きていく人はどんどん増えるでしょう。
3組に1組は離婚をする時代だと言いますし。
更には、一度も結婚をしないでシニアになっていく女性も増えていくのかもしれません。
でも、生涯ひとりというのはやはりマジョリティーには属さない生き方かもしれません。
それがコンプレックスになって、小さくなって生きていこうとする人もいるでしょう。
これが、上の欄で書いた好ましくない傾向です。
その傾向は私にもあるということです。
しかし、普通の人が当たり前のように持っている物がないならば、逆にわがままに生きてもいいと思います。
そうでもしないと、かわいそうですから。
うらやましがられない立場だからこそ、迷惑をかけない範囲で、ちょっとわがままをいわせてもらってもいいんじゃないでしょうか。
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あとがき
2018年3月、私は51歳になります。誕生日は公開しない主義です。
国際女性デーという日にこの記事を書き始めてたのですが、3日がかりで書き上げることになりました。
アメリカで生活していたこともあり、アメリカンなイズされている部分と、日本人的な部分の両方を持っていると自分で思っている私が、50歳の時の心境を語ってみました。
これを10年後読んでみた気がします。
どんなふうに変わっているのでしょうか。
アラフィフくらいからの女性は人に言えない悩みが多くなるかもしれません。
立場、プライドなどが邪魔をし、ほとんどのことは人前では言えないかもしれません。
きっと言えないことだらけだと思います。
でも、そういう思いを抱えているのは自分だけではないでしょう。
だから、意識して快適にやっていきたいものですね。
女性が快適に生きられるなら、きっと男性もより幸せになれると思います。
ちょっと意識しただけで幸せになれる人が増えていくのではないかと感じています。
いかがでしたか?8,500文字も超える記事を最後までお読みいただき、どうもありがとうございます。