老害?「私は大丈夫」と言っている人が危ない!

いろいろな想い 未分類

最近、時々「老害」という言葉を目にするようになりました。というか、ただ単に私にとって目につきやすいだけなのかもしれません。自分の周囲ではあまり聞こえてこない言葉です。というか、日常生活でこういう言葉を使った会話はしませんので、自分にとって新鮮な言葉です。この言葉から、頭の中でたくさんのことを考えてしまったので、その一部をまとめました。

■「老益」になっていると思っていたのに「老害」に

これはシニアにとってもヤングにとっても悲劇かもしれません。何歳くらいになったら老害なんて言われるんでしょうね!?

・シニア側はアドバイスのつもりで親切で言っただけの場合・・・しかし、ヤングのほうでは口うるさい年寄りだとしか受け止めないパターン。どちらも悪くないです。若い時には尖っていて普通です。ただ、お互いに思いやりがなければ、亀裂が入るでしょう。

・シニア側が自分の知識や経験に自信がありすぎる場合・・・「自分には豊富な経験から得た間違いのない知識がある」と確信を持ちすぎて、自分以外の人の意見は聞かないシニア。

確かに知識は素晴らしい物でも、その態度があまりに高飛車だと、委縮してしまうヤングもいるでしょう。ついていかないヤングももちろんいるでしょう。

■シニア側に意地悪な気持ちがある場合性質が悪い

・ヤングの新しいアイディアとエネルギーが不愉快だと感じている場合・・・自分の方法とは全く違った方法で仕事をするヤングにイライラする。おもしろくない。しかし、ヤングがきちんと仕事ができている場合は余計におもしろくないと感じることもあるでしょう。

・ヤングに自分の立場を奪われそうな気がしはじめた場合・・・自分の立場を奪われるわけにはいきません。出る杭は打たなくてはいけません。できれば熱いうちに打ったほうがよいですもんね。(笑)

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ヤングは打たれ強くなるか、思い切って、出すぎた杭になりましょう。出すぎたら確かに打てませんよね。打っても曲がって食い込んだりして、とても厄介なことになります。

あの、釘が横に曲がったしまった時って嫌ですよね~。(笑)抜くのも、打つのも難しく、周囲を破壊する、みたいな…。

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■結局同じことの繰り返しなのでヤングはのびのびでいい

時代が変われば、価値観なども変化します。アラフィフの私も「新人類」などと呼ばれていたことを思い出します。その時代の20代30代が世相を最も反映する中心的な世代になるのでしょうか。

そして、何時の間にか、その中心の世代から外れていきます。そう、何時の間にか。これはずっと会社員として働いている人のほうが感じやすいのかもしれませんね?

ヤングのほうに属すると思っていたのだけど、何時の間にかそのヤングから、自分も外れてきたと気が付きます。その後、ヤングを別の世代として見るようになるのです。

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結局、同じことの繰り返しなのです。シニアとヤングの間には世代間の隔たりがあって当然です。時代が変わるのですから。みんな古くなり、中心から外れます。

でも、ヤングはまだまだ活動していかないといけないのです。委縮しないで、のびのびやっていきましょう。人数的にヤングのほうが少ないですし、状況がきついのもわかっています。でも、のびのびでいいんです!

おわりに

老害ということばをネットでよく見かけるので、会社員として働いていれば、何時の間にか定年のほうが近くなっている自分自身が思うことを書いてみました。60歳で定年するならあと12年。65歳でも17年。

もう、これまで働いてきた時間よりも短くなっている自分の振舞い方について考えてみるよいきっかけとなりました。

こういう素敵なツイートも見つけました。上手に年を取りたいものですね。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

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