世界女性の日にはそれに関連するハッシュタグ付きの投稿をTwitterではかなり見かけました。
50歳を過ぎてひとりで生きている私にとって、女性の日というのはやや人ごとのような気はしていたものの、時々目が留まるつぶやきがありました。
それで、私も50歳の時点での視点で、「女性の生き方」について思っていることを文字にしたいと感じました。
しかし、テーマを狭く絞っていないまま書き始めたせいで、とても長い記事になりました。
ただ、51歳になろうとしている、ごく普通のばついちの女性の心境を書いておいてもよいかも……と感じたのです。
こういう話題はなぜかわりと人気があります。
ですから、この記事だけではなく今後も視点を変えて、もっと小さいことに焦点を当てて書いていくと思います。
今回は、女性の幸せについて、色々な方向から書いていきます。
8,500文字にも及びますので、眠れなくて困っている夜に読んでいただくとよいかもしれません。
この記事は2ページあります。
女の子は女の子らしくなければいけないと言われて育った
多くの女性は「女の子は女の子らしくしないといけない」といわれて育ったのではないでしょうか。
そして、「男の子は男の子らしくしなさい」とか「男の子だから転んだくらいでいちいち泣くんじゃない!」とか「男の子は人前で泣くんじゃない!」とか言われて育った人が多いようですね。
子供のころは女の子は男の子より楽だった気がする
それを聞くと、子供のころは男の子のほうが大変だったような気がします。
転んだくらいで泣くんじゃないと言われても、神経が一本足りないとか、よっぽど感性が鈍くなければ、普通はどう考えても痛いでしょう。
それなのに人前で泣くな!なんていわれるのはかわいそう……と子供のころは思っていました。
実際に私たちが子供のころは男の子はあまり泣かなかった気がします。
転んでも泣きそうな顔でも歯を食いしばって泣くのをこらえていた男の子の顔が記憶に残っていたりします。
幼稚園の時の懐かしい思い出
私は一緒に遊んでいた男の子と2階建てのアパートの外階段から転げ落ちたことがありました。
落下直後に、私はすぐに向こう三軒両隣には確実に聞こえるくらい大きな声で泣いた記憶があります。
しかし、一緒の男の子は歯を食いしばっていました。
その時の表情を何となく覚えています。
一緒にできる限りの大きな声で泣いてくれたほうがはやく大人に気が付いてもらえそうなんですけれどね。
そして、自分も痛いはずなのに、「むっちゃん大丈夫かい?今、誰か呼んできてあげるからね」と言ってくれた記憶があります。
でも、慰められると私はさらに「ぎゃ~~~!」とか「ぎ~~~~!」とか、超ヒステリックに、その町内に聞こえるような大声で泣いた気がします。
大声で泣くのって、最高に気持ち良いですもんね。
ちなみに、この事件に関しては母も覚えているので、今度また聞いてみようと思います。
でも、そう思うと、子供のころは絶対に女の子のほうがいいと思ってしまいます。
しかし、最近、ビービー泣く甘ちゃん男のコ多いようですね。
それはそれで、私は苦手です。
でも、子供のころから男の子はこうであれ、女の子はこうでなくてはいけないと言われて育たなければ、あまり男女差はないのでしょうか?
それとも、やはり性ホルモンの量の違いが自然と男性は男性らしく、女性は女性らしくするのでしょうか?
どうなんでしょう?
そういうお話しは、そういう分野を専門に研究にしている方にお任せしましょう。
女の子は勉強はできる必要がない
「女の子は頭が少し悪いくらいでかわいい」と子供のころは言われて育ちました。
よって、子供のことは勉強を強要されることはなかった気がします。
男の人よりお頭が良い女の子は貰い手がなくなるので、ちょっとバカで上等という風潮がありました。
そして、世の中の男の人も半分はアホなので、女の子は勉強はあまりいりませんというような言葉をよく聞いていました。
うちは上流階級などではない、庶民でしたからね。
ただし、世の中は変化していきます。
私が中学生くらいになるころからは女の子も仕事を持つ人が増えるといわれ始めた気がします。
親世代も少しずつ考え方が変化していました。
ワイドショーなどの見過ぎでしょうか?
高校に入るころには「これからは女性も手に職」といい始めた気がします。
ただし、私自身はフルタイムの職業を持つことに全然興味を持っていませんでした。
仕事というものに興味はなかったのです。
それよりも、主婦として子育てをしながら、翻訳者とか物書きとか家でできる仕事をしたいというのが若い時の私の夢でした。
でも、中学生くらいのことから何かプロフェッショナルな仕事はしていたいという気持ちは持っていたようです。
物書きになりたいという漠然とした夢は、実は子供のころから持っていたのです。
そういう面では、私の夢は叶っているのかもしれませんね。
女の子はいつも笑顔でいなければいけない
一家の主婦が明るいと、その家は明るい家になるから、常に笑顔でいなさいと言われて育っています。
これは結構厳しく言われて育っています。
ですから、子供のころの私は、余計なことをはっきりという性格ではあったけれど、わりといつもニコニコのかわいい女の子でした。
そして、私自身、学校から帰った時に母の「お帰り」という声がない日はものすごく寂しいと感じたことをはっきりと思えています。
「ただいま~」と家に帰って、返事が何もなかったあの瞬間の静けさは今でも覚えています。
私の子供のころは、まだまだパートに出ている主婦とか多くなかったですから、母親は専業主婦が多かったと思います。
だから、私は将来、にこやかな明るいお母さんになるためにも、やはり笑顔がかわいい女性でいたいと思っていた時代が確かにありました。
それが、大人になるにしたがって、だんだんと不愛想になってしまいました。
必要以上に笑顔をふりまかない、難しいおばさんになってしまいました。
そのせいか、子供のころの私を知っている人には「むっちゃんは子供のころの面影が全然残っていないね」と言われます。
でも、私はこの変化が気に入っています。
好きでもない男性の前でニコニコしていて誤解されたくありませんから、これでいいのです。
50歳になってそれはないでしょって?50歳だからこそ、ありなんです。
もう、不自然な女らしさをアピールする必要はなくなったからです。
といっても、自然に出る女性らしさを隠そうともしていませんけれど。
だって、性別が変わったわけではないですから。
ただ、本音を言わせてもらうと、私はやはり女の人、つまりお母さんがいつもコロコロ笑っている、明るい家庭というものに、ものすごくあこがれを持っていました。
そうなりたいと思っていました。
しかしながら、今生では手に入れられなかったものとなってしまいました。
私はフルタイムで外で仕事をすることに関しては、全く興味を持っていない少女時代、そして思春期を過ごしました。
友人の中には高校生に入ってすぐに看護の道を目指し、それをかなえた人もいます。
私たちが教育を受けていた時代、看護師を目指していた女子が、最もプロフェッショナルとして生涯働こうという意思が強かった女子だったかもしれません。
女性は玄関とトイレと台所はきれいにしていなければいけない
「玄関とトイレと台所はいつもきれいにしていなさい」と子供のころから言われて育ちましたが、あなたはどうでしょうか?
私はこれは反対しません!というか大賛成です!
というか、お部屋の他の部分が汚れていても、玄関、トイレ、台所はきれいにしておくべきだと思います。
理由ですか?運がよくなるからです。これは実感しています。
私の場合、トイレ掃除をすごくきれいにしていると、崩れていた体調が著しく改善したことがあります。
つまり……、とても恥ずかしいお話しですが、まめにトイレ掃除をしていない時期がありました。
ちなみに、このように言われて育った男子は同世代ではいないのではないでしょうか?
でも、この3つの場所は清潔にすると、運がよくなる気はします。はい。
だから、これはしたほうがいいと思います。
特にトイレ掃除は大きな効果があるような気がしますよ。
(次のページに続きます!)