2019年3月14日、ホワイトデー。
先週の7日の今頃、慢性腎不全で闘病していたぱぴが必死の蘇生処置を数回に渡って受けていた頃です。
私は3連休の最終日の夜で、その後、飛び石休日が入っていました。
いつもこんなに休みが多くないのですが、たまたまた今週は休みが多かったのです。
ぱぴは私のスケジュールに合わせて旅立って行ったような気がします。
不思議ですね。
先住犬のクリームも、ちゃんと故元夫が帰ってくるのを待って、ひと目見て、撫でてもらってからからすぐに旅立ちましたからね。
動物たちの優しさでしょうか?
あっという間に消えてしまった一緒に生きていた印とか気配
ぱぴが生きていた頃、やはり匂いがありました。
当然です。
私達、人間だって負けないくらい臭いですよね。(笑)
特に、うちは寒がりのぱぴのためにストーブはほぼ24時間焚きっぱなしでしたから、かなり暖かかったのです。
私は暖房費は全くケチらず、ガンガンストーブを焚き、半そでですごしていました。
骨に毛が付いたような痩せすぎぱぴが寒がるからです。
そのせいで、外から帰ってくると、ぱぴの尿の匂いを少し感じました。
うちは玄関のそばにぱぴのトイレがあったので、外から入ってくる時はかなり匂いを感じやすかったのです。
その匂いが、あっという間になくなりました。
あんなに匂いがしていたのにね。
ペットシーツを片付けて、拭き掃除をしただけで、もう匂いはほぼ感じなくなってしまいました。
嗅覚の優れた人ならば、まだ何らかの匂いを感じるのかもしれませんが、私はもう感じないです。
清潔感は確かに出ましたが、とても寂しく感じます。
ぱぴがいないという感じがモロします。
ぱぴのトイレはもう片付けました。
ぱぴがいた印でしたね。
そして、匂いはぱぴの気配として、飼い主の私としては当たり前に感じていたものでした。
それがあっという間になくなってしまいました。
寂しいですね。
かといって、いつまでも使ったペットシーツを取っておくわけにはいきんませんからね。
ぱぴがいないことに慣れていないけれど、楽になったことも否定できない
上の動画は2019年3月13日初七日に撮りました。
ちなみに、母から何度か「もう、ぱぴがいないの慣れたかい?」と何度が電話が来たんですよ。
そんなこと言われても、慣れませんよ、そう簡単には。
母は私の性格を理解していないのだな、と思ってしまいます。
逆に時間が経つごとに「本当にもうぱぴは帰ってこないんだ」と実感して、突然、込み上げてくるものがあったりします。
今、このブログ記事を作っているパソコンのモニターの真横に骨壺があって、常に私の視界に入っているんですけれどね。
買い物に行っても、ぱぴが食べられるものを探す習慣がついています。
ぱぴは病気してから、コンスタントに体重が減っていくようになりました。
そんなぱぴに少しでもカロリーが高くて、体に負担になりにくいものを食べさせたくて、色々買って来ていた習慣はそう簡単には抜けていきません。
だけど、1日に3回とか4回とかご飯をしっかりと食べさせてあげる必要がなくなりました。
また、私がパソコンの前にいる時も、遊ぼう攻撃がなくなりました。
ぱぴは昔は私が仕事をしている時にはずっと膝の上にいたのです。
ぱぴはとても甘ったれでした。
特に、離婚後連れてきてからは執拗に私にべったりとくっつくようになっていました。
寂しかったのでしょうね……。
そのべったりがなくなってから、私はかなり楽になりました。
これからはもっとお家での仕事も効率よくできるようになるでしょう。
この時間を上手に使っていきましょう。
本当は睦美さんはまた完全在宅に戻って、ぱぴの残り時間を一緒に大切に過ごしていこうと計画をしていたんですよね……。
ぱぴ亡き後の私のペットロスはきっとこれから…
現在の私は疲れが出ているのかもしれません。
ぱぴが生きていた時、どんどん痩せていくぱぴを見てがっかりし、血液検査の結果が悪ければがっかりし、寝ている時間が長ければ心配になり、仕事が少しでも残業になればぱぴが頭の中に浮かんできて切なくなったり……。
そんな心配事がなくなったので、楽にはなりました。
で、楽になったからか、疲れがどっと出てきているような感じです。
胃の調子は悪いし、体が寒く感じているのか、暑く感じているのかわからない、変な感じです。
しばらくはあまり無理をしないで生活していこうと思います。
ぱぴは私のことを考えてくれて、ちょうど4連休の前に旅立って行ったとしか思えません。
私のペットロスはきっとこれからだんだんと姿を現すのだろうと思います。
この7年以上の間、ひとりと一匹で生きてきたのです。
ペットロスにならないなんていうことのほうが、考えられません。
でも、私、今はまだ大丈夫です。
この数日、ちょっと胃薬のお世話になっていますけれど……。
あとがき
今この記事を作成しながら、1週間前、ゆっくりと冷たくなっていくぱぴを見つめながら過ごしていたことを思い出しています。
ぱぴの亡骸はなかなか冷たくなっていかなく、死後硬直もとてもゆっくりと始まりました。
ぱぴが旅立った夜、ぱぴに最後に意識があったのはどのあたりだったのかな……なんて思いながら、ぱぴの穏やかな死に顔を見ていました。
翌日、ぱぴを見に来た母が「あら~、この子、穏やかな、幸せそうな顔しているね~」と言っていました。
本当にそうなんですよ。
ものすごく穏やかな、笑顔のような顔で旅立ちました。
でも、春の札幌をまた一緒に歩きたかったです。
iPhone XRでたくさんの写真を撮りながら、一緒に歩きたかったです。
ぱぴには感謝の気持ちで一杯だけど、やっぱり寂しいです。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。