まだSNSでは愛犬ぱぴが旅立ったことを流していない私。
つい最近、ぱぴの新しいベッドを買いましたと投稿したなんとその日、ぱぴは急変。
ぱぴの新しいベッドを買ってきたよ pic.twitter.com/8JGqbttso9
— 沼佐睦美 (@mutsumi_numasa) 2019年3月7日
2時間くらいの集中治療を受けたのですが、旅立ってしまいました。
そのペットベッドはぱぴが生きている時にはほんの2時間くらいしか使えませんでした。
前の緑色のベッドをとても気に入ってくれていたので、その柄違いのペットベッドを見つけたので買ってきたのです。
それなのに、ちょっとしか使ってもらえませんでした。
その代わり、亡骸となったぱぴを新しくてふわふわの女の子らしい色のペットベッドで休ませてあげられました。
今思うと、それはそれでよかったかな……という感じですね。
そして、私はこのブログで何度も表現を変えて、ぱぴは私にとって最後のペットになるだろうということを書いてきました。
しかし…、それは自分を納得させるために書いてきたようです。
その理由は?
亡骸を横目に「札幌 保護犬」と検索していた自分に気が付く
ぱぴは3月7日の午後8時くらいに旅立ちました。
そして、3月8日は私は普通に8時間労働をしてきました。
出かける前に、3月9日にぱぴの個別火葬の予約を入れておきました。
つまり、ぱぴは亡骸になってから、ふた晩、いつものように私の側に置いておきました。
もちろん、保冷剤でしっかりと保冷をして亡骸が傷まないように配慮していました。
そして、いつものようにぱぴの亡骸はいつもの場所で動かずに眠っているわけです。
が、その時、「札幌 保護犬」というワードで無意識に検索していた自分に気が付いてしまいました。
そうです。全くの無意識です。
本当のことをいいますと、もう新しい犬とか猫とかは買えない、あるいは飼えないと思うけれど、今、10歳くらいの犬とか猫で、ペット保険に加入でき、今の私の生活の中に入ってこられる子なら置いてあげられるのに……、とは思ったりしたことはありました。
誰にも言ったことはありません。
だけど、正直なお話しですが、思ったことは実は何度もあります。
これはウソではありません。
そして、できればよっぽど親しい人以外には気付かれたくない、「私の矛盾した部分であり優柔不断な部分」です。
「ひとり暮らし」「高齢者」は保護犬や猫を譲ってもらいにくい理由は充分に理解している
保護犬、保護猫のサイトを見てみると、譲渡の条件に「ひとり暮らし」とか「高齢者」はお断りと書かれていることが多いです。
その理由はよくわかります。
犬も猫も、長ければ20年くらい生きる時代です。
今ならば、大型犬以外は15年は生きると思っておくべきだと思います。
私は「ひとり暮らし」には、どちらかというと属しています。
更に、「高齢者」にはまだ入らないかもしれませんが、予備軍と言ってよい年齢にはなってきました。
そんな私が、新たな犬とか猫を迎え入れるのは難しいということはよくわかります。
だって、今現在は外で働いていますから、今、私の側に来てくれても、その子を長い時間お留守番をさせなければなりません。
つまり……
トイレトレーニングをしてあげる時間がない
今、私は外で働いているので、トイレトレーニングをしてあげる時間が極めて少ないです。
きちんとペットシーツの上でトイレが完璧にできている子ならば問題なしです。
が、トイレトレーニングができていない子ならば、その躾から入らないといけないというわけです。
その躾をする時間を作ることが今現在の私には難しいです。
私は犬の飼い方には慣れています。
が、働きながらトイレトレーニングをするだけの気力体力時間があるかどうかと問われると、自信はないです。
私に万が一のことがあったらペットの環境も大きく変わる
ひとり暮らしの飼い主に何かがあったら、その子はその環境ではもう生きていかれなくなります。
事故などに会う可能性は誰にでもあります。
そして、突然病気になる可能性も誰にでもあります。
そう、突然病気になる可能性は誰にでもあるのですが、年齢が上がれば上がるほど、その可能性は高くなるでしょう。
そう考えると、自分の寿命、というよりも、健康寿命を知りたくなりますね。
今、私が40代前半であるならば、また犬か猫を迎えることでしょう。
ちなみに、ぱぴを迎えた時、私は35歳でした。
躾がちゃんと入っていて健康なシニア犬ならばぱぴの席が空いた今なら入れるのに、という思い
ぱぴの生涯の最後の9か月を留守番ばかりさせることになってしまいました。
が、そんな状態でもいいなら、今、私の側に一席空席があります。
まだ元気な子であれば、ぱぴよりも全然手間もかからないでしょうし、お金もかからないでしょう。
私の中には「今、恵まれない子がいれば、ここにぱぴがいた席が開いているんだけど」という思いが密かにあったりします。
けれど、今、私も万全の体制ではありません。
だから、今、確かに2019年3月7日までぱぴがいた席は空いているけれど、そこはしばらく使うことにはならないでしょう。
助けてあげられる子がいて、ぱぴの席で生きられる子がいるのであれば、助けてあげたい気持ちはあります。
28歳からほぼ毎日、犬と1日2回散歩をし続けてきた私、まだ一緒に歩きたいんです。
そして、まだ歩けるんです。
スマホを持って、写真や動画を撮りながら散歩をしたいです。
これから、ここ札幌も桜や梨、姫リンゴの木に可愛い花がたくさん咲く時期に、ぱぴと一緒に歩けないなんて……。
一緒にだらだらと歩きたかったです。
けれど、今、新しい子を入れても、残念ながらその子はあまり幸せにはなれないと思います。
だって、やっぱりまだぱぴと歩いた時の思い出が多すぎるから、比べてしまうような気がするので……。
あとがき
2014年の今日のぱぴ pic.twitter.com/Pgv9xbaXrJ
— 沼佐睦美 (@mutsumi_numasa) 2019年2月26日
2019年3月7日20時くらいにぱぴが旅立って、あっという間に5日経ちました。
そんなに時間が経った気はしないのですが、今日は間違いなく3月12日のようです。
今日、実家に行ってきました。
今まではぱぴも一緒に行っていました。
その同じ道をひとりで歩きながら、「ぱぴとまだまだ一緒に歩きたかった!」と思ってしまいました。
50代前半の私、健康寿命はあとどのくらいあるのでしょうか?
実は私は戸籍上では両親と同じ家で別世帯で暮らしていることになっています。
ですから、実は戸籍上ではひとり暮らしではないと言いきることができます。
ただし、両親は2人とも70代後半ですから、高齢家族、ということになりますか……。
50代前半独身女性の私、ぱぴがいなくなって開いた席でなんとか生きていける子がいるとしたら、静かに招き入れたいという思いはあります。
が、簡単に決断はしないでしょう。
ぱぴは私に何か伝えるとしたら、どういうことを伝えてくれるのでしょうか……。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。