田中将大投手が駒大苫小牧高校の選手としてあの甲子園で優勝した時のことが忘れられない私、北海道民です。
感動してしまったので、駒澤大学付属苫小牧高校に初めて津軽海峡を越えて北海道にやってきた優勝旗を見に行きました。
別に野球も高校野球もすごく好きなわけではないのですが、やっぱり北海道の高校生が全国を制覇したということで、盛り上がりました。
田中がヤンキースの顔に!終盤戦へ期待の表れ – エキサイトニュース https://t.co/cz8Uivf24D @ExciteJapanさんから
— 沼佐睦美 (@mutsumi_numasa) 2017年8月31日
バカにされていた北海道だからこそ
本当かどうかわかりません。聞いた話しです。かなり昔は、甲子園で対戦相手の抽選で北海道に当たっただけで喜びの声が上がったとか?
もう、北海道なんて弱くて相手にならないと思われていたと聞いています。
何故、北海道がそんなに弱いかというと、やはり冬には長く雪が降り積もり練習ができないから、当然といえば当然ということらしいですね。
そして、さらに、北海道民にとって、兵庫県にある甲子園での8月の暑さと湿度は耐え難いものだろうということで、やはり弱いと思われていたということです。
そう言われてみれば当然だと思って、北海道民は「仕方ないよ、北海道民は」とあっさりと認めてしまっていた部分はありました。
確かに、私自身、8月の上旬に兵庫県で1時間散歩する自信すら全くありません。30分でいやになるかもしれません。
現在は北海道の高校野球も環境が整っているらしい
田中将大投手がいた駒澤大学付属苫小牧高等学校が優勝した後、監督がインタビューを受けることも多かったです。監督のとても人気になっていました。
その中で、現在は北海道の選手もどんどん本州のほうに練習試合に出かけたりしていると言っていました。
要するに、本州の気候にもかなり慣れていはいるということだそうです。それにしても、数日練習試合に出かけるくらいなのでしょうけれど?
監督は結局、その後どちらかに転勤されたのですが、好感度の高い感じの方だった記憶があります。監督のお名前は「幸田誉士史監督」でした。
田中将大投手は兵庫県伊丹市出身だった!
駒苫がだんだんと勝ち進むにつれ、甲子園に関心を寄せる人が多くなりました。そして、テレビでも駒苫関連の特集が増えてきていました。
そして、知ってしまったのです。田中将大投手は実は北海道生まれではなく、なんと兵庫県出身だったという事実を!田中投手にとっては地元に帰ってきた、ということだったのですね。
それを聞いて、ちょっとがっかりした部分はありました。
田中将大投手は兵庫県の暑さなんて平気だったんだ……なんて思って、ほんの少し失望してしまったりもしました。
さらに、私などは田中将大投手のご両親とそんなに年齢が違わないということも知ってしまいました。確か、5歳も違わなかった気がします。
初優勝の時はすごい盛り上がりだった
ベスト4まで進めば北海道としては善戦したと言われていました。そんな中、優勝の可能性も出てきた時は、皆が高校野球に注目していた感じでした。
「優勝旗が初めて津軽海峡を渡って北海道に来るかもしれない!」と、すごい熱気でした。
タクシーの運転手も、公園の側とか、住宅街の空き地みたいな所に車を止めて、ラジオを聞いていた感じでした。
集合住宅に住んでいると、一喜一憂している近所の方の声や拍手が響き渡っていました。
暑い時期でしたから、どの家も窓が開いていました。ですから、音が筒抜けでした。
ミスをすると「あーーーーっ」とか、打ったらすごい拍手とか「走れ~~~~~~!」「いけ~~~~!」とかすごかったです。もちろん、私も同じように叫んでいました。
「マー君フィーバー」でもあり「駒苫フィーバー」でもありました。
あのマー君が今ではニューヨークヤンキースで活躍する投手なんですよね。時間の流れというのはおもしろいですね。しかも、マー君は今や奥さんも子供もいる一家の大黒柱。
ちょっと秘密だけど!苫小牧市民として応援していた
そして、なんと、ここだけの秘密ですよ!
私、駒苫が活躍していた3年間は苫小牧市民でした。「結婚という名の修業」を12年半ほどしましたので、その間、そこに住んでおりました。
修業が終わったと同時に生まれ故郷の札幌に帰ってきていますが、当時は苫小牧市民でした。
それまで苫小牧という地名すら知らない方が多かったでしょう?千歳空港から札幌と逆方向、つまり南方面にありますよ。
私が住んでいた所からは、千歳空港から飛び立って本州に行く飛行機が、日によっては見えていました。
小さな市です。「王子製紙」があります。北海道の中で、降雪量がとても少ない所です。札幌から高速道路を利用すると、1時間ちょっとで行けます。
あの小さな市で、あの大きなマー君がいたらきっと目立ったでしょうけれど、見たことはありません。もちろん、当時はもっとほっそりしていたでしょうけれどね。
いつか、母校に顔を出すことなどあるのでしょうか?きっとないのでしょうね。
駒澤大学付属苫小牧高校は2年連続で優勝し、2年連続優勝旗を北海道に持ってきてくれました。
そして、マー君が高校を卒業する最後の年、「ハンカチ王子」で人気急上昇をした「斎藤佑樹投手」率いる早稲田実業高校に負けてしまい準優勝になってしまいました。
そして、その斎藤佑樹投手は現在日本ハムの投手ですね。日本ハムに入団してからは目立たなくなってしまいましたが、不思議な因縁のようなものを感じますね。
まとめ
田中将大投手の活躍を見るのは単純にとてもうれしいです。同じ時期に同じ市で生活していた者として、応援させていただいています。
一度、本人を見てみたかった気はしますね。これからも、長く活躍していってほしいと思います。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。