愛犬ぱぴの百か日法要は1日遅れで真紅のケイトウ!大好きな食べ物たくさん

愛犬ぱぴの百か日法要,フロム502019年6月14日は故愛犬ぱぴの百か日法要の日。
金曜日だったので、私は仕事がありました。
初七日、四十九日とお花とか好きだったおやつやご飯を用意してきたので、百か日も同じようにしたかったのです。



しかし、仕事から帰ってくる時間が21時過ぎになるので、家の近くではお花を買って帰ることができませんでした。
ですから、お花だけは1日過ぎた15日に買ってきました。
ケイトウ1輪です!
真紅の色が印象的だったので、今回はこれ!とすぐに決めました。

百か日法要の後は1周忌まで何もないらしいので大切な日

まず、私、仏教を含め、宗教に詳しくないです。

そして、ペットなどの法要についても、最近盛んになってきたのではないでしょうか。



ちなみに、先住犬のクリームの時は初七日以外は月命日の時にお花やおやつなどを備えたりしていました。
でも、特に法要など形式ばったものはしませんでした。

で、2019年3月7日に旅立ったぱぴには初七日、月命日、四十九日にはお花と好きだった食べ物を備えたりしていました。

しかし、今月の月命日と今回の百か日にはお花を供えてあげられませんでした。

デビルむつみその2

どっちも金曜日だったから、仕事に行く日だしね~

上にも書きましたが、私が仕事から帰ってくる頃にはお花屋さんがもう店じまいをしていて、お花を買えなかったからです。

アニメの茶髪のむつみ

札幌の街のほうだったら、開いているお花屋さんもあるんだろうけれどね

でも、おやつや食事はたくさん備えてあげました。

そして、お花は1日遅れになりましたが、真紅のケイトウ1輪だけ買ってきました。

デビルむつみその2

ケチったんでしょ~www

アニメの茶髪のむつみ

いや、お骨は睦美はんの作業机の上にあるので、水がこぼれたりすると大変だからみたいだよw




この百か日法要の後は一周忌まで法要はないようなので、この日はやっぱりちゃんとしたかったのです。



ちなみに、私はまだぱぴのことを忘れた思い出さない日など全くないです。
いつも仕事からの帰り道、もう、ぱぴが待っていてくれないことにものすごくがっかりしながら鍵を開けて家の中に入っています



毎日毎日、本当にがっかりしながら、家に帰ります。
かなり慣れてはきましたけれど、仕事が終わって家に帰れるのはうれしくても、ぱぴが待っていてくれない家に帰るのはがっかりです。



だけど、大切だったぱぴの最期を一緒に過ごしてあげられたことには満足しています。
そして、自分の中のひとつひとつの区切りとして、法要などをしている感じです。

出会えたことと一緒にいてくれたことに感謝の気持ち

「普通の人がひとりで生涯で飼える犬の数は3匹」だと、何かで読んだ記憶があります。
これには私は納得します。

つまり、自分が責任を持って犬を飼うことができるのは、環境的、時間的、経済的、そして精神的にだいたい3匹になるであろうというお話しだったと思います。

そんな私、既に2匹の犬達をお金を出して買って、一緒に暮らして、必要な治療はできるだけ受けさせて、そして、見送っています。



それで考えてみたんですが、飼う時期とかをずらして、精一杯頑張ってひとりで犬を飼い続けたとして、私もやはり生涯で3匹飼うのが限界のような気がします。



ただし、これにはひとつポイントがありまして、普通の人がひとりで飼える犬の数が3匹なわけです。
つまりは、夫婦ならばひとり3匹として、その夫婦が生涯を終えるまでに6匹くらいまで飼えるということになるようです。

この数なのですが、夫婦どちらも元気で収入があり、自然災害とかがあった時にでも、その犬を連れて避難できるかどうか、というのがネックになるようです。
無難なのは大人ひとり人に犬1匹ということです。
屈強な男性ならば、ひとりで小型犬2匹は大丈夫かもしれませんけれどね。



私自身思ったのですが、たとえ、私がものすごく稼ぐおばさんになれたとしても、ぱぴだけで限界だと思いました。
その理由ですが、自然災害があった時に連れて避難できるのはぱぴ1匹で限界だと、2018年の北海道の地震があった時に思いました

犬も慣れない環境ではパニックになったりしますから、小さなぱぴの扱いでやっとだろうと思うからです。

つまり、犬を飼える環境の人でひとり生涯犬3匹。

たったそれだけしか飼えないんですね。
そんな中で出会えた1匹1匹に感謝。
本当に感謝。



ですが、ぱぴの場合、死が近くなってきていたのに、私が外で働くようになって、淋しい思いをさせることになったことはすごく残念でした。
しかし、そのおかげで、病気の治療はちゃんと受けさせてあげられたことには満足しています。

愛犬ぱぴの旅立たせ方を思い出しながら改めて考えること

ぱぴの最期は病院で治療中に、もう薬で心臓を動かしているだけの状態と聞いたので、何回か打ってもらっていたその注射をやめてもらったかたち。

で、実際に、どの時点で死んだのかわからない、という状態でした。

後で思い出してみると、あの伸びが最期だったのかな、というのはありました。
その時、ちょうど獣医さんがちょっとだけ席を外していたのです。

そして、病院のほうでももう診察時間が過ぎていたのに、急患のぱぴのために、他のペットちゃんの診察が後回しになっていた状態だったようです。



だけど、私はぱぴの治療を見て、もうそれ以上はしなくていいと思っていました。
思っていたのですが、獣医さんに「もう一回頑張ってみましょう」と言われると、「そうですね」と答えてしまいました。



じゃあ、70歳を過ぎた私が同じ状態になったとして、私の家族に私の延命治療をするかどうかを聞かれたとしたら、絶対にしないでほしいです。



今、YouTubeにはペットの最期の時の様子がたくさんアップされていますね。
穏やかにお家で送ってあげているシーンもよく見かけます。



ぱぴも、もう助からない可能性のほうが圧倒的に高いとわかっていたら、私はどうしたろうか……。
ぱぴの大好きなお家で、私がずっと抱っこをして、そして旅立たせたかったという気持ちも、ないといえばウソになります



ただし、絶対に家で旅立たせたほうがよかったと思っているわけではありません。
何も治療をせず、家で旅立たせようと決めたとしても、実際にはぱぴがものすごく苦しむかもしれません。

デビルむつみその2

苦しんでいるのを見るのもつらいしね……

そんなぱぴを見て、「病院に行ったらどうなっていただろう、ひょっとしたら助かって、まだここで元気にしているのかもしれない」と思ってしまうこともありそうです。

また、もっとよい状態で病院に連れて行っていれば、助かる可能性だってあったかもしれないですよね。
それでも、慢性腎不全を患っていて、徐々に悪化していた16才4か月のぱぴの場合、そんなに長くはいきられなかったかもしれないですけれど。

結局、どっちを選んでも、後悔するのかもしれませんね。



旅立った日のよく思い出すシーンに、やたらと私にくっつきたがっていて、私の膝の上にいるとものすごく気持ちよさそうにしていたというのがあるのです。



ただ単に、体温が下がっていたから、私の体温が心地よかっただけなのかもしれませんけれどね。
だって、病院で、体温がすごく下がっているぱぴのために、ドライヤーを当てて、体を温めてくれていましたから……。




でも、もう何を言っても、悔やんでも、ぱぴは帰ってきてはくれません



逆に痴呆のような症状が出始めていたぱぴが、その痴呆の症状が進まないうちに旅立ったのは私にとっても、そしてぱぴにとっても苦しまない結果になったのかもしれませんね。
同じところをくるくる回ったり、トイレの失敗など全然しなかったぱぴが、明らかに全然違う所でトイレをすることが増えてきていましたからね。

そんなことを思い出しながら、ぱぴの大好きなおやつを一緒に食べたりしていました。

あとがき

ぱぴの百か日法要はお家で、ぱぴと、そして先住犬のクリームのお骨と向き合って、大好きだったおやつを食べたりしながら、ぱぴのことを思い出しながら過ごしました。

ただし、金曜日ということもあり、私は普通に仕事があり、じっくりとお家にいてあげられず、お花も間に合わなかったですけれどね。

お骨はまだもう少し私の側で手元供養をします。
でも、そのうち、2匹一緒に動物霊園で土に還していただきましょう。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

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