残念な成人式にユーミンの親もお手伝い!思い出す自分の30年前
まず2018年の成人式に「はれのひ」騒動で楽しみにしていた晴れ姿になれなかった新成人の方、残念でしたね。
ユーミンの親もお手伝いしてくださったようですね。きっと何とかしてあげたい人がたくさんいたと思いますが、事情が事情だけに難しいですよね。
ちょっと着付けができる人であっても、成人式の大振り袖までは着付けてあげられないのではないでしょうか。
特に、今の大振り袖の着付け方はとてもかわいいですから、着付け方が難しそうです。
また、ひとり着付けるのにも結構時間がかかりますから、臨機応変に対応するというのも大変だったのでしょうね。
ぜひ、なるべくはやく、他の機会に今回着られるはずだった着物よりもさらにランク上の着物を着させてもらい、ご披露しましょう。
きっとSNSでもたくさんの人がお祝いしてくれると思いますよ。
今の成人するくらいの人は私の子供くらいの年齢ですから、自分の子供のようです。
私にそういう子供がいたら、切れまくってまくっていたでしょうね。怒りがおさまらなかったと思いますよ。
せっかくの成人式に残念な思いをした方はなるべくはやめに着物を着せてもらいましょう。
思い出します、自分の成人式。あれから30年。30年を思い出しながら、変化に対応していく重要性について語りたいと思います。
30年経っても根の部分は変わっていない
今20歳くらいの人からみれば50歳というとちょうど親くらいでしょう。
私の周囲にも、もう孫がいる人もいれば、私よりも3歳も年下なのに、来年子供が結婚する人もいます。
と思えば、生涯結婚をしないんだろうと思える、いわゆる「生涯未婚率」の中にカウントされているであろう友人も少なくないです。
バツがひとつ以上ついている人も全然めずらしくないですね。バツ3くらいは今は少し探せば見つかりますね。
まあ、表面上立場は違いますけれど、想像しているよりも大人になっていませんね。
そして、根の部分は変わっていません。
私の友人も18歳くらいで止まっているとまで言っている人がいます。
それに対して私は「いくらなんでも18歳はないでしょ~」というのですが、彼女は否定しません。
そして「多分、ずっとシングルでずっと仕事はしていたけれどずっと親元にいたというのもあると思う」なんて言っていました。
そうなんですよね。札幌生まれの人ですと、結婚するまで親元にいる人も結構います。
札幌で教育をすべて受け終えて、そのまま就職もして……、という方結構います。
だから、20歳くらいからあまり変わっていないという人がいてもおかしくないでしょう。
それに、大人になれば、もうあまり大きくは変わらないかも……。
もちろん自分で変えようとしたら変わるでしょうけれど。
今の50代以上の女性は「女に教育はいらない」と言われて育っているかも
さて、成人式から30年経った私が成人式をした頃、男女雇用機会均等法が制定されました。
具体的に言いましょう。昭和60年、西暦1985年に男女雇用機会均等法が制定されました。
私は1967年生まれで、その時19歳でした。
更に、当時私は短大に行っており、2年生でした。
つまり、男女雇用機会均等法が制定されて、初めての就職戦線にトライした世代です。(笑)
しかし、私の小学生中学生くらいのころは、まだまだ女性が生涯働くなんていることはあまり話題にもなっていませんでした。
だいたい、そういう就職もあまりなかったと思います。
私が就職活動をした時、そこのCEOがはっきりと「女性に関しては一般事務の仕事しかありません。昇進も女性はありません」みたいなことを言われた記憶があります。
それも不思議には思いませんでした。なぜなら、女性の就職は「腰掛け」とか「お茶くみ」いう言葉があった時代だったからです。
腰掛けという意味は、学校を卒業してから数年お茶くみをしながら働くという意味です。
そして、社会の仕組みを知ってから、数年で円満結婚退職(寿退職)をした後、子供を産み育てるのが女の幸せと脳みそに刻まれてきたような気がします。
だから、花の時代に遊んでおこう、みたいな感じでしたかね。
時はバブルでしたから。
ボディコンのミニスカートをはいて踊って花の時期を無駄にしないようにしていた気がします。
アッシー君、めっしー君、貢君、仮想恋人(へ?)、一応本命(?)など何人かと楽しく遊んでいた女性も多かったでしょう。
そして、結婚したら意外と落ち着いた主婦になり、子を産み、その子が就職活動をしたり、成人式を迎えたりする時期になったのでしょう。
ちなみに、私は残念ながら、短大卒業後アメリカの4年制大学に編入予定でしたので、遊ぶ時間とお金がありませんでした。ちょっと残念でした。(ちょっと自慢させてもらいましょう)
成人式から30年!そして50歳から30年では80歳
さて、成人式から30年過ぎた世代は、同じだけの時間を過ごすと80歳なんですよね?信じられますか?
80歳というと、元気に生きているのかな?という年齢に到達していますね。(爆笑)
時代は変わりましたね。バブルがはじけました。
短大を卒業して数年働いてからアメリカの大学に編入し卒業して帰ってきた私、その時にはすっかりと日本は沈んでいました。
それで、私の計画も少々狂いました。(笑)
人生うまくいかないもんだ……なんて思ったこともありました。
そして、一生懸命勉強して帰国したつもりでしたが、就職の面接試験では
- 弊社はアメリカにまで行って勉強してきたような女性は採用経験ありません
- うちの仕事は誰でもできる仕事なので、高学歴の女性でなくてもいいんですよね
- 高卒で自分よりも若い先輩の指示に従えますか?
- 結婚したら仕事はどうするんですか
- 旦那さんが結婚後は仕事をやめてくださいと言ったらどうするんですか
- うちの仕事は産休を取られるのはちょっと困るんですよね
- 結婚はいつくらいにする予定ですか
というよう質問が多く、日本に帰ってきたくなかったとつくづく思いました。
もうおばあちゃんといってもいいような年齢の人が大学に通って勉強をしているアメリカを思い出すと、なんだか日本が嫌になったりした時もありました。
ちなみに、今も女性は就職の面接時にはこのような質問はされる場合があるようですけれどね。そのような記事を最近見ました。
「女性なのに、そんなに勉強してどうするの?」と聞かれた大学院卒の女性がいました。
変化に柔軟に対応していける人がやはり強い
これから先、AIにたくさんの仕事が奪われるとかなんとか言いますが、どうなるのでしょうか。
若い時は平凡でも、生きているうちに時代はどんどん変わっていきます。自分の人生も変わっていきます。
私だって、ここに書いてきたように「女に教育はいらない」という言葉が聞こえている時代に少女時代を過ごしました。
しかし、就職活動前に男女雇用機会均等法が制定されるほど、世の中は変化しました。
「これからは能力のある女性も働く時代」とか言われるようになりました。
将来の方向修正が必要な世代だったかもしれませんね。
だから私も方向修正しました。
しかし、色々、人生には試練があるものです。思ってもいない変化が訪れる時もあります。
それに柔軟に対応していかないと、80歳90歳まで楽に生活するのは容易ではないでしょう。
私は結婚はしていました。元夫との間には子供はいませんが、元夫は2年前に亡くなっています。病死だろうと思います。
ということは、私は離婚をしていなくても今頃は未亡人だったわけです。(違ったかもしれませんが……)
もしも彼との間に子供がいたら現在高校生くらいだと思いますが、どうなっていたんだろう……なんて思うことがあります。
私は専業主婦になっていましたし、田舎に住んでいましたから仕事がなかったでしょう。
アラフィフなので、もうとにかく何でもいいから正社員になれる仕事を探したのでしょう。それが一番の安定ですから。
それが無理だったら生活保護を考えなければならなかったでしょう。
最後に
20歳くらいになると、よほど大きなことがなければ、あまり性格は変わらないような気はします。
ただ、許容範囲が少し広くなるかもしれませんね。
よく年を取ると丸くなると言われますよね。そのような変化はあるかもしれません。
でも、あまり変わらないまま、そのまま年齢だけ重ねていくと考えたほうがいいかもしれません。
そして、見た目はいくらでもごまかせても、40歳を過ぎたあたりから、少しずつ老化が始まると思ったほうがよいです。昔は40歳を「初老」と言っていたのですから。
老眼、結構きついですよ!(笑)
実際には30歳くらいから、わずかにわずかに衰えていくのを感じながら、そして、社会的な責任を背負いながら(背負わない人もいるでしょうけれど)、やっていかなければなりません。
20歳から50歳まではあっという間だった気がしますが、50歳から80歳まではどうでしょうね。
もっと時間が早く進むようになると聞きますが、元気にいられるかどうかもわからない年齢ではありますね。
なんとか柔軟に対応しながら頑張っていかなければ。あなたも、そしてわたしも。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。
二人一緒のちーむ睦美です。よろしくwww