50オンナは笑って言える「ごめん、愛してる」がほしいかも?
「ごめん、愛してる」のちょっといい感じのラストシーンを見ました。私、カレのお顔、とてもタイプです。イケメンですもんね。
ところで、番組のネタバレはありません。私、この番組見ていませんので安心してください。
そうではなくて「ごめん、愛してる」という言葉にちょっとやられた感じなんです。すごく多くのことを語る言葉なので、なんだか気になりすぎて眠れなくなりました。
ですので、この言葉から発展してしまった50歳の女性の笑える発想をお話します。
「学生の時のような恋がしたい」という50代女性の気持ちがわからない
ある掲示板で見かけたのですが、学生の時のような恋がしたいという50代の方がいました。
私は「学生の時のような恋ってどんな恋?恋愛じゃなくて、恋だよね?ちょっとわからないけれど?」と、かなり考えてしまいました。
その人のイメージをもっと深く知りたいと思ったのですが、どうも、片思いとか、憧れるとかそういう淡いイメージのようです。
そうでしたか?
アラフィフ以上の女性の学生の時の恋というのは、そういう純粋なものだったでしょうか?思い出があまりにも美化しすぎていませんか?
アッシー君、メッシー君、貢君の時代ではなかったですか?バブル世代ですよ?
それで、その掲示板に書き込まれた日付を見てみたのですが、そんなに古くなかったです。ですから、やはり同世代のようです。
もちろん、いろいろな人がいることはわかっています。
けれど、私は個人的には学生のような恋はしたくありません!
駆け引きがありすぎた時期だった気がします。あんな気が抜けない恋はこの年になってしたくないですね。
恋愛が女性をキレイにする?それはその恋愛に多少なりとも望みがある時だと思いますよ。
望みがない恋にしがみついている時間が長いと、どことなくくたびれてきて、キラキラと輝いたようなキレイさはなくなると思います。
「ごめん、愛してる」という言葉が強烈すぎ!
私、このドラマはまだ1回も見ていないのですが、「ごめん、愛してる」という言葉、インパクトが強くて頭から離れないのです。どの状況で発するかで意味合いがかなり違ってくるので。
- いつも好きでたまらなく、遠慮せずに相手にそれを言えるパターン
- なんで好きなのかわからないけれど好きだと実感してしまうパターン
- 好きだという気持ちを抑えたいけれど抑えられないパターン
「好きだという気持ちを抑えられるのであれば、そんなに好きではないんだよ」なんて言う人もいますが、よく効くブレーキを持っている人もいます。
「ごめん、愛してる」という言葉、うん、インパクトが強いですね。素直かもしれないし、自分勝手かもしれないし、押し付けがましいかもしれないし、母のような愛なのかもしれないし……。
気になりすぎる言葉です。今宵は眠れないかもしれません。気になるんです。
今現在の、ばついちの私自身が求めているのは、笑いながら、「ごめん、愛してる」と実感させてくれる恋愛かもしれません。
「学生の時のような恋」は全く求めていません。
というか、私は学生の時には恋愛はしていましたが、「学生の時のような恋」はしていませんでした。
アラフィフだってときめきがほしい!ときめきたい!
アラフィフともなると、恋とか恋愛とかをするのは難しいというのは多くの場合現実でしょう。
理由は
- 周囲に恋愛対象になる人がいないから
- 自分にも縛りがあるから
このような感じでしょうか。
周囲に恋愛対象になる人がいないというのは仕方がありません。年齢的にフリーの方は多くありませんから。更に、自分の周囲だけでフリーの方を探そうと思えばもっといないでしょうから。
さらに、自分にも家庭があったりするから、基本的には恋愛を発展させるわけにはいきませんから。
といっても、一瞬でも、誰かに心がふっと飛んでいってしまうということは誰にでも起きうることだとは思いますけれどね。
だからこそ、「学生の時のような恋がしたい」という発想になるのかもしれませんね。自分の心の中だけで完結する恋ですかね?
プラトニックな恋ですね?
でも、ときめきは求めてしまう。ときめきたい。そんなところでしょうか。それはとても自然な気持ちといえるでしょう。
是非、今いるパートナーにときめいてください。何度でも。きっとね、それが1番ステキ!うん、間違いないと思います。
この記事はまとめません。(笑)
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。「ごめん、愛してる」は~と
追伸:
私、「学生時代の時のような恋」というのは、年齢的に「大学生」、あるいはそれに相当する年齢の人のことを言っているのだと頭で決めつけていました。高校生以下は学生とはいわないという認識でした。
学校教育法では「学生」という分類をしっかりと決められているようですが、それを全ての人が認識しているわけではないのかもしれません。
しかし、もしかしたら、この表現を用いた方は、高校生くらいの年齢の人のことも指していたということもありえるのかもしれない、と思ってしまいました。