「いい記事」がわからない!と思って3時間以上書けなかった時の記事
「いい記事」というのはどういう記事でしょうか?
最近、その答えに迷いが生じ、人目に触れる記事がなかなか書けなくなっていたりする私です。
私にとって、本当にいい記事だと感じる記事はその時によって変わります。
そして、残念ながら、多くの記事がターゲットとしている層から、私自身は大きく外れてしまっているのだな、とつくづく感じさせられてしまうこともあります。
そんな私がいい記事とはどんな記事かを考えてみました。
多くの人には当てはまらない、かなりマイノリティーな意見ですが、私と同じように感じるやはりマイノリティーの人もいるだろうと思い、書いてみることにしました。
深い悩みに関する記事
多くの人にアクセスしてもらいたいなら、多くの人が理解できる深い悩みに関する記事が一番よいのでしょう。
いわゆる「他人の不幸は蜜の味」という人間のしょうがない部分を満たすことができます。
たとえば、これはどちらが興味ありますか?
- 私が再婚のために結婚紹介所に登録したけれど、全然話しがこないという記事
- 時々パートナーらしき人と食事をしたり、旅行したりしていることが匂う記事
これ、どちらかしか読めないとしたら、どちらを読みたいですか?
2番、という人はあまりいないでしょう。
ということは、私がpvを稼ぎたければ?
- 「離婚後5年のアラフィフ女性、再婚の結婚紹介所でアドバイザーに怒られ心身症に」
- 「50歳でやっとほんとうに好きな人と出会えた女性の幸せ過ぎるうふふ日記」
どちら読みたいですか?
うふふ日記なんて読みたい人いますかね?
私なら読みたくありません。というか、そういう記事を選んで読もうとは思わないでしょう。
少しは読んでみてもいいですが、あまりにもうふふ度が高いと、すぐにお腹いっぱいになってしまいそうです。
また、自分がみじめに思えたりする原因になるだけかもしれないので、うふふ日記なるものを私が読み切ることはないでしょう。
人の楽しんでいる記事はその時はそれなりに楽しくは読めますが、他の必要性がなければ、適当なところで離脱してしまうでしょう。多分もう滅多にアクセスしないでしょう。
だって、忙しい毎日の中では全く必要ないですから。
ただし、私が今後、ほんとうに好きな人と出会えれば、世界が変わるかもしれません。
そして、そんなに幸せになれば、きっとブログは書けなくなると思います。
私が文章を書くのは、人に言えない、言わないことだらけだからでしょうから。
今自分が答えを探している記事
だれでも、今、自分が悩んでいることの答えをやさしくていねいに書いてくれている記事は、良い記事だと感じるでしょう。
たとえば、私ならば、今現在はどのような記事なのか迷いが生じています。
ですから、そのことに関しての答えを明確に書いてくれている記事をいい記事だと感じるでしょう。
あまり長すぎないものが好きです。
そして、できれば、答えはたくさんの理由付けのあとでようやく書かれるのではなく、最初のほうに書いてあればウレシイです。
答えがイエスかノーか、または新しいものであるかないかを最初に知りたいのです。
その答えによっては、私が必要としていないこともあるからです。
更に、やさしい言葉で書いてくれている記事のほうがウレシイです。
というか、安心して読める気がします。
これは人それぞれでしょう。
厳しく叱ってくれるような記事が好きな人もいるでしょうし。
こういうところで、好き嫌いが分かれてしまったりするのでしょう。
光景が思い浮かぶ記事
私自身は想像力を掻き立ててくれる記事が好きです。
きっとそういうモノが、私が根本的に求めるものであり、私の脳みそを喜ばし、感じさせてくれるのでしょう。
ぎっしりと文字が詰まっていて、回りくどい記事は最後まで読めません。
気が付くとすぐに他のページに飛んでしまってます。
人によって違うのでしょうけれど、私は本業がライターなので、記事を書くために毎日たくさんの記事を読んでいます。
また、ブログを書くための情報収集でも、やはりたくさんの記事を読んでいます。
だから、仕事以外では記事を読みたくないのかもしれませんね。
人は普段の生活を少しの間忘れたい、という気持ちが働く時もあるのだと思います。
これ、大切なことかもしれませんね。
実際にステキな画像がある記事
自分の好きな絵が思い浮かぶような記事ももちろんいい記事だと思います。
が、実際に見ただけで気持ちが明るくなるような記事もありがたいと感じます。
私が年をとったせいかもしれません。
わかりやすい安らぎがとても恋しくなりました。
やわらかくて、淡くて、境界があまりはっきりしすぎていない絵などをみるとほっとします。
色がキレイに混じった部分がある絵と、その絵とうまくバランスがとれた、文字が多すぎない記事に巡り合えれば最高です。
だいたい、多くの人はよほど興味がある記事でなければ、長い記事を最初から最後までは読まないのではないでしょうか。
私などは長いだけで、最初から読まないと判断することもあります。
だって、「何か読みたい」と思ってアクセスしたわけでなない時も多いですから。
まとめ
きっと人それぞれ、いい記事というのは違うのでしょう。
そして、同じ人でも、その時の状態によってすごくいい記事だと感じる記事というのは違うのでしょう。
私自身、この記事を書きながら、また迷いが生じてしまい、途中で2時間くらい止まってしまいました。
私の好みは私だけのものだし……とか思ってしまって、書いていいのか悪いのかものすごい迷ってしまい2時間くらい、言葉を選んでいました。
なんだか滑稽ですね。
でも、私の意見は私の意見で書いておいてもいいだろうという結論に達しました。
私くらいの年齢になると、安らぎを求めるのかもしれません。
ほっと安らげる、多くを語らない、少し休ませてくれるような記事を求める部分があります。
必ずしも記事を読みたいと思ってアクセスしているわけではありませんから。
さて、来年の今頃はこの考え方が少し変わっていたりするのでしょうか?
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。