19歳で赤ちゃんの頭大の卵巣のう腫と2回転半の茎捻転で手術後31年

いろいろな想い 健康

この記事は私自身の31年前の体験記です。19歳の時、私は「卵巣のう腫」で緊急手術をしました。それが丁度6月だった記憶があります。

「卵巣は少しでも正常な部分があれば残してあげたかったんだけど、残念だったけれど、2回転半も茎捻転していて、既に腐っていたので救ってあげられませんでした」と、担当医がおっしゃっていたことをはっきりと記憶しています。

最近、若いタレントさんが卵巣のう腫で手術をしたなどというネット記事を見かけたので、この卵巣のう腫についての記事を書き直そうと思いました。以前、このブログには卵巣のう腫にかんする記事がありました。それが、このブログの最もアクセスがあった記事でしたが、内容の確実性に自信がなくなったので、処分しました。

それで、新しく書き直します。もしも、悩んでいる方がいたら、「悩まなくても大丈夫だよ!」ということだけを伝えたくて。

大きな卵巣のう腫があったことは気がつかなかった

この記事のタイトルにもなっていますが、私の卵巣のう腫は赤ちゃんの頭ほどの大きさだったと言われました。個人病院で緊急手術を受けたのですが、当時の副院長が「僕の20年の医師生活で、こんな大きな腫瘍ははじめてだった」とおっしゃっていたことを思い出します。

それだったら、手術中に私も見たかったとか思ってしまいました。私は腰椎麻酔で手術を受けましたので、手術の時の記憶はあります。

そんな大きな腫瘍がお腹の中にあったのに、しこりという感じの物は気がつかなかったです。とはいうものの、急にちょっと太ってきたかも、と思ったことは確かです。それでも、私は痩せていたので、少しお腹が出ても普通っぽい感じでした。

ただ、バイト先のちょっと意地悪な30歳過ぎの姉さんが「むっちゃん、最近、ちょっと太った?」と聞いてきたことは覚えています。

あの時「だから、おばさんは独身なんだよ」と心の中では思ったのですが、「うふふ、メッシー君においしい物ばかり食べに連れて行ってもらっているから」くらいに答えておいた記憶もあります。

アッシー君、メッシー君、貢君という言葉が流行っていたような時代でした。バブル世代ですね。

だけど、お腹は他人が服の上からみても認識できるほどに大きくなっていたということにはなりますね。

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夜、我慢できる程度の痛みが続くので救急病院へ

なんと、夜、パチンコ屋にいた時に腹痛がはじましました。我慢はできるけれど、ずっとあの椅子に腰かけているのはつらい感じがして自宅に帰ることにしました。歩いて帰れました。そんなにひどい痛みではありませんでした。

家に着いたら、それなりに痛み止めの薬を飲んだのだと思います。それで1時間くらいは様子を見たのですが、痛みは徐々に増していたのだと思います。時間的には20時近かったとのではないでしょうか。病院はもうやっている時間ではありませんでした。

とにかく治りはしなかったので、救急病院に出かけました。母に付き添ってもらいました。救急病院では応急手当をしていただいたのだと思います。もうあまり記憶に残っていません。

それで、しばらくは痛みが消えていたのか、薄らいでいたのだと思います。

ところが、また痛み始めました。今度は結構な痛みだった記憶があります。それで、今度は近くのクリニック(内科)で受け入れてもらえたので、そこで緊急入院をしました。深夜だったと思います。

痛み止めが全然効果なく辛い夜を過ごす

このクリニックに入院したあたりから、ひどい痛みが出てきました。最初のうちは看護師さんも痛み止めを頻繁に打ってくれたのですが、どれを打ってもらっても全然痛みがなくならないのです。中には少し眠くなる痛み止めもありましたが、とにかく全然効きませんでした。

「痛み止めと思わせておいて、実はビタミン注射でも打ってるんじゃないの?」と思うくらい、腹が立つほど全く効かなかったことを覚えています。痛くて痛くて……。

そのうち、そのビタミン剤 鎮痛剤の副作用なのか、吐き始めました

とにかく痛くて仕方がなくて、看護師さんを呼んだら「もう、打ってあげられる痛み止め、これで最後だよ。これが一番強いからね」と言われたことを思い出します。私も「効いてくれ~!」と祈るような気持だったことを覚えています。痛みというのは体力をものすごく消耗させます。

が、効いたという記憶はありません。あの時の記憶は「痛み止めだというのが嘘だとしか思えないほどに効かなかった」ということだけです。

深夜のトイレで意識を失う

病室の中で痛みで苦しみながらも、トイレには行きたくなります。それでトイレに行きました。ただ、あの時、用を足したかったのが大だったのか小だったのかの記憶がありません。そして、実際もどちらだったのかの記憶はありません。多分、小のほうだったと思います。

多分、効かなかったけれどやはり鎮痛剤のせいで、意識もうろうとはしていたのでしょう。トイレから出て鏡を見たような記憶はあるのです。が、そこで記憶は途切れています。

トイレで倒れていた所を交代の看護師さんに発見してもらった

女性に呼びかけらている声で気がついたようです。せっかく寝付いたのだから寝せておいて、と思った記憶もなんとなくあります。

ちょうど準夜勤と深夜勤のが入れ替わる時に、看護師さんがトイレで倒れていた私を発見してくれたようです。どのくらいの間、トイレの床の上で倒れていたのかはわかりません。6月ですが暑かった記憶がありますが、私が痛みでのたうち回っていたので暑かったのかもしれません。

看護師さんに2人に両わきを支えられ、ベッドに戻った記憶があります。この時の夜勤の看護師さんには感謝しています。大変だったろうと思います。急患に頻繁にナースコールされ、そのたびに、医師に使ってよい薬を確認していた感じでした。

そして、その後、少し眠れたようです。

朝から痛みに耐えて検査を受ける

私が入院していた所は内科でした。お医者さんはまだとても若いお医者さんでした。クリニック内は新しくて立派な感じでした。

そのお医者さんに「最近、便秘してない?お腹に大きなガスみたいな白いのが映っているんだよね。最近、ちゃんと出てないでしょ?」とか聞かれた記憶があります。それには即答しました。「いえ、私は全く便秘ではありません。というか便秘というのはほとんどしたことないです。というか、下痢体質です」というような感じで答えました。

しかし、お医者さんはレントゲンを見せて「でもね~、これ見て‼この大きな白いガスみたいなやつ!」という感じで突っ込んできしたので、「いや、全然、便秘じゃないです」と言い返した記憶があります。

その後、しばらくして、「産婦人科に行ってみてください。紹介状書きますから」と言われました。仕方がないので母に来てもらい、痛くて痛くて立つのがやっとの中、タクシーで近くの産婦人科に行きました。この産婦人科、母が通ったことがある産婦人科だということでした。

産婦人科に転院・緊急手術決定

とても人気のある産婦人科で、とても混んでいました。待ち時間が苦痛で仕方がありませんでした。「なんで痛いのにこんなに待たすんだよ~!」と、段々痛みで体力を消耗し、まっすぐに立てなくなっている状態で、母に支えられながら、やっと一歩一歩歩いて、検査を受けたりしました。

そして、どのくらい待ったかわかりませんが、緊急手術が必要だと言われました。

産婦人科の先生が、私の前で、紹介状を書いてくれた若い内科の先生に「よく見つけたね~。あの患者さんね、卵巣のう腫でこれからうちで緊急手術することになったわ~」と電話をかけていました。

この時の私の心境ですが、痛みで何だか時々意識が飛んでいたと思います。ただ、その電話をかけていたのをはっきりと覚えています。この産婦人科のお医者さんは結構ご年配だったと思います。

手術への恐怖とかありませんでした。そんなことを感じている余裕がないほど痛かったのです。

緊急手術開始!腰椎麻酔なので意識はある

手術台に上がってからは、お医者さんが、背骨の上をポンポンポンポンと手を当てて数えていました。「いち、に、さん、し」とか数えていたのを覚えています。腰椎麻酔を打つ場所を確認しているのですね。

そして、腰椎麻酔が背骨に突き刺さってきました。「いた~~~い!」とは思いましたが、すぐにお腹の痛みを感じなくなり、安堵の気持で満たされました。腰椎麻酔を打ったことにより、それまで痛くて痛くして仕方がなかった腫瘍の痛みから解放されたわけです。

ふ~っと疲れが出たのか、あるいは少し眠らされるような注射でもされたのかはわかりませんが、眠ったと思います。けれど、すぐに目が覚めたと思います。時計が見えていましたからね。

手術中のお医者さんたちの会話がおもしろかった


13日の金曜日だよね、今日って」とか、お医者さんと看護師さんが話していた時に、意識が戻りました。

お医者さんたちが「大きいな…。暑いな、今日は…」などと会話をしていたのも覚えています。あの時、腫瘍を切っていたのでしょうね。そんな大きな腫瘍なら私も見たかったです。

ただし、手術を受けている私は強度の近視なので、遠くに時計が見えている以外、はっきり見えているものはあまりありませんでした。忙しそうに動いている人の中で、私だけゆっくりと休ませてもらっているというような感覚でした。

ただし、定期的に血圧計が作動し、血圧を測られていたのがだんだんと苦痛に感じていたのは覚えています。

あと、窓が開いていました。今ではちょっと考えられない環境かもしれませんね。

私はといいますと、十字にはりつけにされ、手首を拘束されている状態で手術を受けているわけですが、あの十時という体勢はあまり楽ではないのです。もう少し腕の角度を腰側にしてくれると楽なのですが、手術をする方々の邪魔になるんでしょうね。

手術の時「もう少しだからね」とか「あと縫うだけだからね」とか「終わったよ、お部屋帰ろうね」とか声をかけてもらっていたことを思い出します。

やがて手術は終わり、私は眠らされたのか疲れて寝たのかはわかりませんが、しばらく寝続けたようでした。

お医者さんとの面談

私の卵巣のう腫について、1対1で面談を受けました。その時にお医者さんが言ったことを思い出せる限りまとめました。

手術の結果

  • 赤ちゃんの頭ほどある大きな腫瘍だった
  • 中に歯とか髪とかが入っている卵巣皮様のう腫(らんそうひようのうしゅ)とか卵巣奇形腫といわれる腫瘍だった
  •     

  • この病気の原因は不明
  • 2回転半茎捻転して、腐り始めていたので、卵巣は完全に摘出。茎捻転さえしていなかければ、少しでも卵巣を残してあげられたんだけど残念だった
  •     

  • お腹の傷、できるだけ小さくしてあげようと思ったのだけど、どうやっても腫瘍が大きくて出せなくて、切り足した形になったので傷口がきれいじゃなくてごめんね
  • 反対側の卵巣は元気なので普通に妊娠出産は可能
  • 反対側の卵巣は元気だけど、はやく結婚をして子供を作るといい
  • 悪性ではないと思うけれど、一応、今、病理には出している

とのことでした。

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卵巣を摘出後の不安

手術後の経過は順調でした。しかし、色々悩みました。たとえば……

卵巣1個だと生理は2カ月しかこないの?妊娠しにくいの?

卵巣というのは2つあります。だから、1つなくなっても何とか卵巣の機能は残るだろうな、というのは素人でもなんとなく想像できますよね。ただし、2つあるから正常に毎月生理があるわけで、1つだと1カ月おきになってしまうのではないだろうかとか不安になりませんか?

この疑問は私の場合、持たなくてOKだったのです。なぜなら、同じ卵巣のう腫という病気を私の母が経験しています。そして、卵巣1つしかなくても、毎月しっかりと生理はあったと言っていました。更に、卵巣1つになってから、私の妹を産んでいます。これは私の場合、かなり、安心材料になりました。

そして、なんと私の妹も同じように卵巣のう腫で手術を受けています。彼女の手術の時は母と私が付き添いました。そして、手術後のお医者さんの説明は母と私が受けました。妹の腫瘍にも、歯のような骨のような物がぽつぽつ入っており、髪の毛も結構ありました。

彼女の手術は内視鏡で行ったので、腫瘍が粉砕されて取り出されていたので、何が何だかはっきりとはわかりませんでしたが、髪の毛は結構ありました。そして、この妹も、去年、しっかりと40歳で子供を産んでいます。

不思議ですね。卵巣のう腫になる遺伝でもあるのでしょうか?母、私、妹、3人とも全く同じ卵巣のう腫の中の奇形腫で手術を受けることになったのです。

ちなみに、私も、生理は時々飛ぶこともありましたが、ほぼ順調にありました。そして、私の周囲は知っている方がぽつぽついますが、私自身も卵巣のう腫でがっつりと卵巣を摘出後、妊娠経験はあります。残念ながら産めませんでしたが。

でも、卵巣が1つなくなっても妊娠出産は可能だということは私の母と、私と、妹の3人でしっかりと証明できていますね。今、不安に思っている方がいれば、安心材料にはなりますよね?

卵巣1個だけだとはやく閉経する?

更年期障害:病気を知ろう:日本産科婦人科学会によりますと、日本女性の平均閉経年齢は満50歳ということです。ただし、かなり個人差があるということです。

ちなみに、19歳で卵巣をまるまる1個摘出した私、2017年春に満50歳になっておりますが、まだ閉経していません。1個だけの卵巣がまだ頑張っています。そろそろ終わりな感じはありますが、閉経した時には「お疲れ様」と言ってあげたいですね。1個しかない卵巣で、ほぼ毎月生理がありました。

普通に2つ卵巣があって、子供を2人産んでいても40代前半で閉経している方もいますからね。50歳では閉経している方は珍しくありません。

別に50歳まで生理があるからいいとか悪いとか、自慢したくて私はこのようなことを書いているわけではありません。自慢するようなことでも全くありませんし。

ただ、私自身19歳で卵巣を1個失った時。はやく閉経しちゃうのかな……と不安に思ったことを覚えているのです。それで、「19歳で卵巣1個か。もう終わった……」とか真剣に思ってしまったことがあったのです。なんで、私、こんな思いをしなければならないんだろう……と、すこしいじけたりもしました。

もっと、苦しい思いをしている方がたくさんいるのに、そんなことぐらいで悩むなんてばかみたい、と思う方もいるでしょう。

でも、19歳でしたから、ショックはありました。今、19歳の時に私に言ってあげたいですよ。「あんたはね、結局50歳になっても、まだ生理あるよ」とね。

同じような悩みを抱えている女性、私のようにひそかに気にして気分がどよ~んとしてしまい、「もう終わった」とか思ってしまう方に、卵巣は1個になっても大丈夫だよと伝えたいと思い、ここまで書きました。

卵巣のう腫体験記のまとめ

出産経験がない私にとっては、この卵巣のう腫で2回転半の茎捻転をしてしまって腐っていた痛みは、今までの人生で味わった痛みの上位3つに入ると思います。

あの時19歳、痛みが出る少し前に「太ったかな?」という感じで、下っ腹が出はじめました。急にお腹が大きくなったような記憶があります。

でも、19歳で産婦人科の検査などは受けないので、赤ちゃんの頭大の大きさの腫瘍があっても気がつきませんでしたね。

何度か、色々な先生に「卵巣のう腫で卵巣1個なくなっちゃったけれど、はやく閉経しちゃうでしょうか?」と聞いたことがありました。不安でしたからね。

今となっては、遠い記憶となってはいますが、「痛かった」ということだけは忘れられません。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。また、同じように卵巣のう腫で悩んでいる若い方に読んでももらえれば……なんて思っています。

このブログのターゲットの年代からは外れてしまう若い女性、そして、その年代の娘さんを持つお母さん、更に知っている方などが卵巣のう腫で悩んでいる場合、ここで読んでいただいたことを教えてあげてほしいと思います。またはここを教えてあげてほしいです。

だって、私はすごく落ち込みましたから……。

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